【特集:片山享監督】片山享がコロナ禍でも映画を撮り続ける理由

  • 2022年03月21日更新

監督代表作『轟音』(2019)より。「第35回高崎映画祭」にて3月27日(日)と29日(火)に上映が決定している

役者としてキャリアを重ね、近年は映画監督としても目覚ましい活躍をみせる片山享。2020年には初長編作の『轟音』が北米最大の日本映画祭「JAPANCUTS」ほか多数の海外映画祭に選出され、2021年は神戸・元町映画館が開館10周年を記念して初の配給を手掛けた『まっぱだか 』を盟友・安楽涼と共同監督したことも記憶に新しい。そんな片山が、2022年は新作3本を含む計6本もの監督作品を上映・公開する予定だという。コロナ禍という苦境の中でも、絶え間なく創作と躍進を続ける理由とは——?
「インタビュー」と監督自身による解説付きの「2022年上映・公開作品紹介」の2本立てでその核心に迫る。

《目 次》

【特集1】インタビュー:監督への足跡とコロナ禍での映画制作

【特集2】片山享監督による解説付き! 2022年上映・公開作品紹介

『くもりのち晴れ』
 3月19日(土)より金沢シネモンドにて1週間限定公開

『轟音/ROAR』
 3月27日(日)、29日(火) 第35回高崎映画祭にて上映

『まっぱだか』
 5月7日(土)より新宿k’s cinemaにて公開

【特集1】インタビュー
監督への足跡とコロナ禍での映画制作

母に背中を押されて、役者の道へ

長編版『いっちょらい』(2020)の撮影風景より。写真左は主演の松林慎司

来年は、役者人生20周年を迎えるという片山享。役者から映画監督へ。その道のりとはどのようなものだったのだろうか。その足跡とコロナ禍で抱えてきた思いを赤裸々に語ってもらった。

片山:役者を始めたのが2003年、大学卒業後すぐにこの世界に入りました。幼い頃から役者になるものだと思い、大学入学を機に上京。在学中にも芝居のレッスンに通ったりはしていましたが、卒業後から本格的に始めました。もちろん全然うまくいかなかったですが、道しるべをくれたのは母でした。母は思い立ったら吉日の人で、うじうじ悩んでいた僕に「今、信用している人は誰だ」と問い詰め、「今ここでその人に電話しなさい」と言いました。

母に背中を押され、その場で俳優養成学校の恩師へ相談の電話をかけたという片山。その恩師のアドバイスを受け、自ら作成したプロフィール資料を手に俳優事務所へ自身を売り込みに回る日々が始まる。

片山:そこから僕の役者人生は動き出しました。思い立ったら吉日、それが今でも僕の取り柄の一部になっている気もします。しかしながら売れるということはありませんでした。役者の仕事はしてはいましたが、思い描いていたようには全然なりませんでした。

映画『くもりのち晴れ』場面写真3

細川岳を主演に迎えた『くもりのち晴れ』(2021)では、故郷・福井を舞台に建築現場で働く職人の葛藤と希望を描いた。3月19日(土)~25日(金)金沢シネモンドにて上映。高校生以下は入場無料

役者としての道がなかなか開けない中、遊びの延長のような感じで始めたのが自主映画の制作だった。当時、監督を目指す発想はなかったというが、映画を観る時には自然にカット割りなどにも注目していたという。

片山:映画を撮ることに興味が沸いたのは24歳頃です。役者の先輩であるボブ鈴木さんと田中俊さんと僕の3人だけで映画を撮りました。撮ったというか遊んだというか……編集もその時に初めて経験しました。「(映画制作は)片山が一番向いている」そんな無責任なことを言ったのが、今でも仲良しボブ鈴木さんです。映画をつくる楽しさを知ったのがその時です。

以来、自身の出演する映画に制作側としても携わるようになり、編集なども手掛けるようになったという。しかし、メガホンを握るまではなかなか至らなかった。それはなぜか?

片山:実際に映画を撮ったのが37歳なので、ずいぶん時間はかかりました。制作に携わるようになってからは、特に佐々木友紀監督と沢山映画を撮りました。ちなみに、安楽とも佐々木監督の現場でよく共演しました。でも、監督をすることはありませんでした。僕の中に「役者が映画を撮ったら嫌われる」という思い込みがあって、それがずっと付きまとっていたからです。きっとそう思うことで、撮らない自分を正当化しようとしていたんだと思います……。

映画制作を決意させた「安楽涼の存在」と「母への思い」

安楽涼監督『1人のダンス』(2019)では脚本・出演を担当。右は片山&安楽作品ではお馴染みの名バイプレーヤー大宮将司

「映画を撮りたい」という漠然とした思いを心の片隅に抱えたまま、役者としての成功を目指して葛藤する日々。しかし、転機は自ずとやってきた。

片山:その考えが大きく変わったのが35歳の時でした。幼い頃、役者という職業を夢見ていた時は「25歳で売れる」と思っていました。それが一年過ぎ、また一年過ぎ、気づいたら十年過ぎて35歳になっていました。役者として十年以上も活動していて、業界のこともある程度知って、それこそ役者仲間も沢山いて、今後自分が役者としてどこまでいけるかという想像は容易にできました。その想像は、理想とは程遠いものでした。「だったら好きなことをやろう」、そう思えたのが監督を始めた一番のきっかけです。

ようやく映画監督としての道を歩み出した片山。周囲の人々や環境の変化もその思いを加速させた。

片山:ずっと一緒に映画を撮っていた佐々木監督が突然渡米し、役者仲間の一人だった安楽が映画を撮り始めました。しかも全く巻き込んでくれませんでした。本人には言えなかったけど悔しかったです。自分は認められていないんだと思いました。実は、『1人のダンス』(安楽涼 監督、片山享 脚本)の前に2本ほど一緒に撮っているんです。「48時間映画祭」用に撮った『フラワーデイズ』。そして『大胆』。これはほとんど誰も観ていません。二人だけで撮ったらどうなるか、そんなことを試しながら撮った映画でした。

片山享と安楽涼といえば、今では知る人ぞ知る自主映画界のゴールデンコンビ。「認められていないと思った」のは片山の杞憂に過ぎなかったようだが、当時のその悔しさが、映画制作への思いをさらに強くした。そして、さらなる大きな出来事が片山を映画制作の道へと駆り立てる。

片山:その頃、母が大病を患いました。あと何年一緒にいられるか分からない。そう思いました。その時、安楽に「母を笑わせる映画を撮っていきたい」と話したことを鮮明に覚えています。実際に笑える映画なんては撮っていませんが……。役者として出られる本数は限られているから、併せて監督もしたら母に少しでもたくさん自分を見せられると思ったのが、「隙あらば撮る」という想いに向かわせてくれた要因の一つだと思います。

息子の未来を心から応援し、役者の道へと導いた張本人と言っても過言ではない、母の存在。そして、ともに切磋琢磨し、映画制作の楽しさを教えてくれた先輩役者のとある決意が、さらに片山を導いていく。

『轟音』撮影時に安楽涼(写真左)と撮ったオフショット。この距離感からも仲の良さがうかがえる(笑)

片山:24歳の時に初めて一緒に映画を撮った田中俊さんも、母と仲良くしてくれていて、入院先にお見舞いにも来てくださったんです。その時、母にだけ「役者を辞める」と告げられて……。僕がようやく映画を撮り始めた時に、一方で田中さんはそう決意をしていた。僕が監督をすることで、田中さんがいつでも役者に戻ってきて映画に出られるようにしておきたい、そう思ったのも僕を映画制作に向かわせた理由です。

自分の映画で大切にしたいのは「人」

ついに賽は投げられた。そこへ、奇跡のように大きな出来事が重なる。

片山:2017年に初めて撮った短編の『いっちょらい』は、「ふくいムービーハッカソン」という福井駅前短編映画祭のスピンオフ企画でした。福井の方々と一緒に映画を撮る。ここだと思いました。主宰者の宮田耕輔さんに「撮らせてください」とお願いをし、第2回から監督として参加しました。

映画『生きる、理屈』キービジュアルこの「ふくいムービーハッカソン」に参加するきっかけをくれたのが、同郷の津田寛治さんが所属する事務所、ラ・セッテの社長、星久美子さんです。たまたま津田さんと同じくラ・セッテ所属の松林慎司さんとご一緒した時に、星さんから「片山君はムービーハッカソン来ないの?」と聞かれ、何も聞いてないですと答えたら「私が宮田さんに電話する」と言ってくれました。電話は自分でしますと宮田さんに連絡をしたことで参加が決まりました。この出来事なくして今の自分はないし、それこそ『轟音』も撮っていません。福井で映画を撮るということ自体も思いつかなかったかもしれません。

そう思うと、僕は自分の意志というよりは、周りの色んな方々に支えられ、今もそうですが、歩んできたんだなぁと思います。だからこそ、映画でも大事にしたいのが「人」なのかもしれません。

十数年の思いを胸に始まった、とにかく“撮る”日々

こうして、2017年に役者と映画監督の二足の草鞋を履く第二の人生が始まった。そこからは、ひたすら撮る、撮る、撮る……の日々。

片山:ざっと思い出すだけでも、2017年は『フラワーデイズ』『大胆』(2作とも安楽涼と共作)、短編版『いっちょらい』、2018年には『名操縦士』『轟音』『あなたの「映画」撮らせてください』、2019年に『アンダンテ』 『つむぐ』『未来の唄』『らん』『生きる、理屈』……とんでもない頻度で映画を撮っていたんだなぁと思います。映画撮影をしている姿を間近で見ていた母に、「役者やっている時より楽しそうだよ」と言われました。その言葉が突き刺さっているんだと思います。
※いずれも制作年

「必死に撮りながら、大変なこともたくさんあった」と、どこか清々しそうに語る片山。なぜ、ここまで映画制作に打ち込めたのだろう。

片山:なにより、撮ることつくることが楽しかったんだと思います。なんせ十何年撮りたかったわけですから(笑)。映画祭にも沢山行かせていただきました。

そうした創作活動が一つの結実を迎える。池袋シネマ・ロサでの劇場公開デビューが決まったのだ。

片山享監督特集「生きる、理屈」ポスター片山:2020年2月に、6本の監督作を1か月にわたって上映するという異例のデビューをさせてくださったのが、池袋シネマ・ロサさんです。かつて、「カナザワ映画祭」で何も受賞できず凹んでいた時、審査員の一人でもあったシネマスコーレの坪井副支配人が「映画館にお金を払って観にくるお客さんと勝負しなさい」と叱咤してくださった意味がよく分かりました。映画は、読んで字のごとく映画館で観ていただくものだと。

華々しいデビューが決まった。しかし、そんな片山の前に立ちはだかったのが、誰も予想していなかった未曾有のパンデミック。そう、新型コロナウイルスの蔓延だ。

片山:ようやく僕の映画監督人生が始まったと思った時に矢先に来たのが、新型コロナウイルスでした。2020年2月の終わりにはもうすでに客足は遠のきはじめ、集客という意味ではモロにその影響を受けました。「コロナがなかったら、もっといったのにね」そんな励ましの言葉にすらムカつきました。

劇場へ足を運んだ観客からは惜しみない賛辞が送られ、SNSには「片山監督」という文字が散見し、片山享は一人の映画監督として多くの人に認知された。だが、当の本人には何とも言い難い悔しさが残ったという。そんな中、さらに心を揺さぶる悲報が届く……。

片山:ずっと病気と闘ってきた母が、緊急事態宣言中に亡くなりました。コロナではなく、持病の悪化が原因です。途方に暮れましたが、救ってくれたのはやはり人でした。

コロナ禍の初期で、世間的もコロナに対しての知識がなく、外に出ることすら懸念された時期です。それでも母の葬儀には沢山の友人が参列してくれました。安楽も、ボブさん、田中さんも、撮影部の深谷祐次も、録音部のナル(坂元就)も、『轟音』のプロデューサーの夏井祐矢、『くもりのち晴れ』のプロデューサーのまさや(山田雅也)も、そしてやなぎー(柳谷一成)も、大須ちゃん(大須みづほ) も、シンジさん(松林慎司) も、大宮将司さんも、所属事務所の社長の大松(高)も。佐々木監督は母へ向けた動画を送ってくれ、宮田さんはプリザーブドフラワーを送ってくださり、津田寛治さんと星さんからもお花をいただきました。この人たちを裏切ってはならない、そう思いました。

ほかにも多くの友人や恩人が片山の母の逝去を悼んだ。その全員が片山の母と生前交流があったのだという——。

「止まらない」ことを決意してシネマカメラを購入

母への感謝と多くの人からの応援を胸に、さらに映画制作への決意を固くした。緊急事態宣言下でも、一つでも前に進みたいと思った。そこで、2020年5月にシネマカメラを買ったという。言わずもがな、決して安価ではない買い物だ。

片山:これからもどんなことが起こるか分からない。だったら、いつでも映画を撮れるようにしよう。安直な考えですが、それでも前に進んでいたかったんです。初めて最初から最後まで自分でカメラを回して、『巡る』と『狂のぶ』という短編を撮りました。今後そういうスタイルで映画撮っていこうということではなく、撮影部の深谷とより深い話をしたい、そう思って撮影をしました。

そんな中、毎年開催していた「ふくいムービーハッカソン」の中止が発表される。しかし、片山は決意した通り、前を向いていた。

片山:主宰者の宮田さんは「福井を映画の街に」そんな想いで毎年大変な思いをしながら開催してきました。その灯を消すわけにいかないと、コロナウイルスの蔓延が落ち着いていた2020年9月に、長編の『いっちょらい』を撮ることを決めました。美談にしたいからではなく、今だからこそできることを精いっぱいやろうと撮影に臨みました。

『いっちょらい』長編版の撮影風景。信頼する深谷祐次が撮影を担当

コロナ禍で知った感謝と「優しさ」を映画に込めて

その後も立ち止まることなく、2021年にかけて『まっぱだか』『日々』『くもりのち晴れ』と撮影を行い、そのほかに3本もの長編映画を撮ったという。その決意の固さと実行力には驚かされるばかりだが、さまざまな意見が交わされるコロナ禍での映画制作を、監督という立場からどのように考えていたのか。また、実際にどんな苦労があったのだろう。

片山:決してコロナを軽視していたわけではありません。感染対策をするのはもちろん、参加してくださる方々の精神的なケアも大事にしました。良い映画をつくる責任以外にも、沢山の責任がありました。それが一番の大変さだったかもしれません。そこまで気を配って制作して、コロナの影響で作品が撮影延期にもなりましたし。

覚悟と決意をもって映画制作を続けるのには、もう一つ大きな理由があるという。

片山:コロナ禍で映画を撮ることに対しては色んな意見があると思います。その中で長編6本と短編3本を撮っている僕は明らかにやりすぎかもしれません。しかし、とある映画館の方に「僕にできることって何があるんですかね」と聞いた時、「新作を撮って上映してくれることです」そう言われました。コロナ禍での映画公開を経験して、映画館の大変さを知りました。それも、できる限り映画を撮ろうという気持ちに向かわせた要因の一つでもあります。映画館は否が応でも人が集まる場所ですし、足が遠のいても仕方がない部分は往々にしてあります。だからこそ、観に来てくださる方々への感謝が、当たり前の感謝ではなくなりました。

コロナ禍でも自分の映画を観に劇場に来てくれる人がいる。映画を上映し続けようと工夫と努力を重ねてくれる劇場のスタッフたちがいる。コロナ禍だからこそ、その重みを一層深く実感したという。

映画『まっぱだか』映画『まっぱだか』場面写真6

安楽涼と共同監督を務めた元町映画館配給作『まっぱだか』(2021)では、主演の津田晴香が「2022年おおさかシネマフェスティバル」新人女優賞受賞を受賞。東京は5月7日(土)より新宿k’s cinemaでの公開が控える

片山:色んな方に支えられて映画を撮り続けられています。そして、映画の中に優しさがなければダメだと思うようになりました。直接的に「これって優しいでしょ」と訴えかける映画はつくらないかもしれませんが、どこかに優しさがほしい。それは僕自身が色んな方から優しさをいただいたからだと思います。『轟音』のテーマとして掲げた「生きていることが一番素晴らしいことなんだ」という想いは今も変わりませんが、そこに優しさが足されたという気持ちです。この先どんな映画を撮っていくかは分かりませんが、自分なりの優しさを考えていきたいです。色んなことが起こりますし、起こっています。僕のできることはとてもとても小さいですが、せめて自分の映画を観てくださった方々に、少しでも前に進める何かを残せるように、これからも映画を撮り続けようと思います。

映画制作を通して知った大切な人々の思い、受け取った数々の優しさが、片山享を飽くなき創作へと向わせる。しかし、映画監督としての人生はまだ始まったばかりだ。これからも監督・片山享の背中を追いながら、その視線の先に広がる未来にも注目していきたい。

『轟音』撮影風景。故郷・福井から発した轟音は世界へと響き渡った

【2022年3月メール・電話にて取材】企画・構成:min

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【特集2】片山享監督による解説付き!
2022年上映・公開作品紹介

映画『くもりのち晴れ』メインビジュアル『くもりのち晴れ』

3月19日(土)より金沢シネモンドにて1週間限定公開
連日18時30分~

(2021年/日本/65分)監督・脚本:片山享
出演:細川岳、長野こうへい、安楽涼、熊谷弥香、大宮将司 ほか
企画・製作:株式会社タッセイ プロデューサー:山田雅也 撮影:深谷祐次 照明:松島翔平 録音:坂元就
映画公式サイト ・劇場公式サイト

【解説】故郷・福井県にある建設会社、株式会社タッセイさんから「建設業を舞台とした映画を撮ってほしい」と依頼がありました。建設業に触れたことがなかったので、一度取材をさせていただきました。実は、建設現場で働く方々に「日雇い労働」というイメージがあり、お金のために働いていらっしゃるのかなぁという偏見が、僕には正直ありました。その時に初めて職人さんとお話ししたのですが、その方はまだあどけなさが残る金髪の19歳の青年でした。知識があまりなかったこともあり「仕事は楽しいですか?」と聞きました。すると彼は屈託のない笑顔で「楽しいです!」と答えました。僕のイメージはこれでぶっ壊れました。彼は続けます。「僕らが建てた建物を気持ちよく使ってもらいたいんです」と。彼はお金のためではなく、「人」のために仕事をしていました。タッセイの社長から「建設業は次の作業工程へタスキを繋いでいく仕事なんです」と聞いていたことを思い出し、そのタスキは建物を使う人まで繋いでいくんだと思いました。だから駅伝部に所属していた青年の話を書きました。映画をつくることと、とても似ていると思いました。だから偉いとかではなく、みんなでつくる。でも、誰にも負けない。そんな、人を想う負けず嫌いな物語になりました。
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『轟音/ROAR』

第35回高崎映画祭「監督たちの現在(いま)」にて上映
会場:シネマテークたかさき
3月27日(日)16時40分〜、29日(火)18時

監督・脚本・編集:片山享(2019年/日本/99分)
出演:安楽涼、太田美恵、大宮将司、岸茉莉、中山卓也 ほか
プロデューサー:夏井祐矢、宮田耕輔 撮影・照明:深谷祐次 録音:マツバラカオリ
© Ryo Katayama Film
映画公式サイト ・高崎映画祭公式サイト

【解説】長編デビュー作です。2020年の2月に初めて劇場公開をしましたが、配信(AmazonプライムビデオU-NEXT ほか)も始まった今でも、こうして映画祭に呼んでいただけます。JAPAN CUTSやシッチェス映画祭など沢山の海外映画祭にも呼んでいただきました。映画監督をするなら長編を撮らねばならないと、2作の短編を撮った後に脚本を書きました。舞台は故郷である福井県。「生きている」ことが一番素晴らしいことなんだということが伝えたくて、それを伝えるには、かつて大嫌いだった故郷の福井で、自分が言われた嫌なこと、嫌な出来事、知り合いから聞いた辛いこと、そんなことを抱えながらもそれでも生きていく人達を描くべきだと思い、色んな人に迷惑をかけ倒して撮らせていただいた映画です。もう二度とあんな過酷な現場はつくってはいけないのだけれど、『轟音』がなければ今の自分はないと思います。携わってくださった方々には一生感謝です。
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映画『まっぱだか』チラシ表『まっぱだか』

5月7日(土)より新宿k’s cinemaにて公開

監督:安楽涼、片山享 (2021年/日本/99分)
脚本:片山享、安楽涼 撮影:安楽涼、片山享
出演:柳谷一成、津田晴香、安楽涼、片山享、タケザキダイスケ、大須みづほ ほか
映画公式サイト ・劇場公式サイト

【解説】2019年に神戸・元町映画館で脚本と出演をした『1人のダンス』(安楽涼監督)が公開された時に、支配人の林(未来)さんから「2020年に元町映画館が10周年を迎える記念として映画を撮ってくれませんか」とお話がありました。それまでも一緒に映画を制作してきた安楽との共同監督とのことで喜んでお受けしました。依頼としては短編映画だったのですが、はなから長編しか撮るつもりがなく完成したのが『まっぱだか』です。

映画を撮っていなければ出会わなかったかもしれない街が元町で、だからこそ元町で生きている人の話がつくりたかった。安楽と共に友達になった元町の人達。その強力なバックアップの元、撮影もさせていただきました。コロナ禍になって初めて書いた脚本でした。初稿は僕が書くとなっていました。“当たり前”を失ってしまい、そんな心が全面に出てしまった初稿になりました。その時、ネガティブにいく思考を阻止してくれたのは友達でもある安楽でした。「片山さんが前に進めない」そう言って脚本に足してきたのは「友達」という部分でした。人生色々あるけど、今横にいる人を大切にするべきだと思わせてもらえた大事な映画です。主演の柳谷一成さんと津田晴香さんの魅力が全開に出ていると思います。沢山の方に観てほしい映画です。そして、是非元町映画館へ足を運んでいただきたいです。
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上記ほか、2022年は新作3本を上映予定! 情報解禁を乞うご期待!

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(感謝のおまけ)

ミニシアの取材記事初登場時の片山享監督と、松林慎司さん。
2010年3月に行われた『SHORT HOPE〜ささやかな願い〜』舞台挨拶登壇時の写真より。二人ともお若い!

 

❤️若き日の片山享出演作品も、下記からチェック♪

  • 2022年03月21日更新

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