『先生を流産させる会』 内藤瑛亮監督 インタビュー

  • 2012年06月10日更新

内藤瑛亮監督インタビュー
映画評論家をはじめとした多くの著名人による絶賛の声が、劇場公開前から集まっていた『先生を流産させる会』。2012年5月に公開初日を迎えて以来、この作品に心をかき乱されている映画ファンはあとを絶ちません。かつて実際に起こった衝撃的な事件を大胆に脚色して、問題提起性とエンターテインメント性を併せ持った傑作に仕立てあげた内藤瑛亮監督に、たっぷりとお話を伺ってきました。
(取材・編集・文:香ん乃 編集:min スチール撮影:荒木理臣


『実際の事件を題材に撮りたい』という考えは初めから持っていた

― 『先生を流産させる会』は、愛知県で実際に起こった事件がベースになっていますが、内藤監督ご自身がこの事件を知って映画化を望まれたのでしょうか? それとも、外部から映画化の打診があったのですか?

内藤瑛亮監督(以下、内藤):前者です。この事件については、インターネットのニュースで知りました。事件について言及しているサイト等で、実行犯の生徒たちに対して「実名をあげろ」とか「殺人罪にすればよい」等、怒って過激なことを言っている人たちが多くいたことも印象的に記憶しています。

その後、映画を作ろうと思いたったときに、「実際の事件を題材に撮りたい」という考えは初めから持っていました。題材にするモチーフを探すために図書館で過去の新聞等を読んでいたら、「先生を流産させる会」の記事を発見して、ニュースを見たときのことを思いだしたんです。それで、この事件を題材にして映画を撮ろう、と決めました。

『先生を流産させる会』という言葉に、『自分が否定されたくないものを否定された』という印象を受けた

― 実際の事件を起こしたのは男子生徒でしたが、映画化にあたって設定を女子生徒にした理由は?

内藤:僕は実際の事件の詳細よりも、「先生を流産させる会」という言葉に強烈な衝撃を覚えました。実際は、「担任を流産させる会」だったそうですが。
劇中の台詞でも使っていますが、人を流産させるという行為は、「胎児は人間と見なさない」という理由で、法的には殺人罪よりも軽罪にあたります。ただ、たとえば「先生を殺す会」よりも、「先生を流産させる会」のほうが、はるかに禍々(まがまが)しく響いて、「自分が否定されたくないものを否定された」という印象を受けました。では、「その否定されたくないものは、なんなのだろう?」ということをドラマにして描くことで、我々が否定されたくない大切なものを突きつめていけるのではないか、と思ったんです。
そのようにドラマを描く場合に、キャラクターが男子生徒だと、「嫌いな先生がいる→その先生が妊娠した→流産させよう」という発想の順番になると思います。ですが、「先生が妊娠しているという事実そのものに嫌悪感を覚える→流産させよう」という流れにしたほうが、「先生を流産させる会」という言葉から感じた強烈な嫌悪感につながるだろうと感じました。

実話を忠実に映画化すれば訴えたいことが伝わるわけではなく、言いたいことがかえってわかりにくくなる場合もよくあります。ですから、実際の事件の詳細をそのまま映画で描いても、僕がこの事件をニュースで知ったときに受けた衝撃には迫れないのではないか、と思いました。それを伝えるためには脚色も必要だと考えたので、「先生を流産させる会」のメンバーを女子生徒という設定にしました。

『女の子には性的なものを嫌悪する時代があって、それを乗り越えていくんだ』ということに興味を抱いた

内藤:僕自身が中学生だったときに、同級生の女子が「自分たちが性行為から生まれてきたなんて嫌だよね」と言っていたのを、たまたま聞いたことがあります。男子中学生はセックスにとても興味があって、自分もしたくてたまらない時期なのに、女子はそうではないのだと知って、とても驚きました。それから数年経ったら、その女子も普通にセックスを受けいれていてさらに驚きました。個人差もあるでしょうが、「女の子には性的なものを嫌悪する時代があって、それを乗り越えていくんだ」ということに、非常に興味を抱いたんです。

画家エドヴァルド・ムンクの絵で『思春期』(1984)という作品があります。10代の全裸の少女が座っている背後に不気味な影が伸びている絵で、少女の肉体が変化していくことへの嫌悪感や焦燥を表しています。その絵を見たときに、はっとするものを感じました。『先生を流産させる会』には、これらの感慨や印象がミックスされています。

あたりさわりのない婉曲的な言葉でタイトルをつけたら、逆に不誠実になる

― 『先生を流産させる会』というタイトルに対して、一部から過激な批判もあったかと思いますが、そういったご意見をどのように受けとめていらっしゃいますか?

内藤:このタイトルに対する批判は当然あるだろう、と初めから思っていました。たとえば、流産を経験された方やこれから子どもを持とうと考えていらっしゃる方、妊娠中の方、あるいは、偶然にしても、本作をご覧になったあとに流産をしてしまわれた方、そういった方々が感じられた負のものをこのタイトルをつけることで僕が背負わなくてはならない、とは考えていました。

それでもこのタイトルにしようと決めたのは、まさにこの「先生を流産させる会」という言葉に対して感じたおぞましさが映画化へのスタート地点だったからです。あたりさわりのない婉曲的な言葉でタイトルをつけたら、逆に不誠実になると思いました。

10代のあの時期の少女にしかないものを撮ることができれば、映画として「勝ち」

― 女子中学生役で出演している少女たちは、全員、映画初出演だそうですね。どのような経緯で彼女たちをキャスティングしたのですか?

内藤:10代の少女たちの生々しさを撮りたいと考えていたので、既に芸能事務所に所属して演技の教育を受けている子どもではなく、演技の未経験者でキャスティングしたいと思いました。それで、インターネットで募集をかけましたが、作品のタイトルが衝撃的なためもあり、応募はそれほど多くはありませんでした。

リーダー格のミヅキ役を演じた小林香織さんは、制作部の友人のお子さんです。僕がキャステイングに迷っていたときに彼女の写真を見せてもらったのですが、強い目力が印象的で、「あ、この子だ!」と思いました。彼女以外の少女たちは、ネットの募集を見て応募してきてくれた人や、その友達などです。
10代のあの時期の少女にしかないものがあると思っていて、その中には演技や技術では表せない部分が確実にあると考えていました。それを撮ることができれば、映画として「勝ち」だと思ったんです。

現場の様子を写真に撮って、少女たちの保護者へ方々へ毎日メール

― 中学生役の少女たちは未成年ということもあり、出演にあたって彼女たちの保護者のかたに作品の内容を理解していただくというプロセスもあったかと思いますが、その点でご苦労はありましたか?

内藤:初め、小林香織さんのお父さまが、お嬢さんが本作に出演することを反対なさっていました。お父さまは脚本を読んでくださって、内容にもご理解を示してくださったのですが、性的なモチーフがある点等を気にかけていらっしゃいました。躊躇なさるのも当然だと思ったので、実際にお目にかかって、映画を撮る目的をご説明して、「香織さんが本作に出演する経験は彼女にとって価値のあるものになります。僕らは彼女が出演したことを誇れる作品にします。ですからお願いします」とお話をさせていただきました。なかなか前向きに考えていただけませんでしたが、最終的にはお嬢さんの出演を許可していただけました。

少女たちが演技の未経験者だったので、体を動かすゲームや映画鑑賞など、いろいろな遊びを使って演劇のワークショップのようなことをやったのですが、香織さんがそれらを楽しんでくれたんです。お父さまは、「娘が乗り気になっているのだから」と考えてくださいました。また、キャストの少女たち同士が仲よくなって、香織さんにお友達が増えたことも喜んでくださいました。

撮影中は毎日、現場の様子を写真に撮って、少女たちの保護者の方々へメールでお送りしていました。映画の完成後は、彼女たちと昭和記念公園へ遠足に行ったり、劇場公開を記念してみんなでディズニーランドへ行く約束をしたりもしました。完成した作品を(出演者の)みんなが気に入ってくれて、香織さんのお父さまにも「すごく迷ったけれど、娘を出演させてよかった」と言っていただけたので、本当によかった、と思っています。

いわゆるロックを、サウンドトラックにつけたかった

― 本作は音楽もとても格好良いですが、音楽を担当された有田尚史さんが本作に関わられた経緯は?

内藤:僕が映画美学校のフィクション・コースにかよっていたのと同時期に、有田さんはこの学校の音楽美学講座に在籍なさっていました。『牛乳王子』(2008)を撮る際に出会いました。
僕の根本にある音楽は、高校生の頃によく聴いていたナイン・インチ・ネイルズやマリリン・マンソンで、いわゆるロックを(サウンドトラックに)つけたいという気持ちがありました。サントラとしては変わっているかもしれませんが、10代の頃に聴き続けていた音楽ということで、自分にとっては自然なんです。高校時代は(本作の)冒頭の田園のような風景のなか、毎日ロックを聞きながら登下校していましたから。
『先生を流産させる会』のメインテーマになっている曲は、有田さんに何度もリテイクをお願いしました。有田さんは人間ドラマなのでストーリーに沿った音楽をつけようと、必死になっていましたが、僕の「もっと強く、もっと強く」という要望から、ある時点で「あ、ロックでいいんだ」とわかってくれました。あのメインテーマは自分の想像を超えた音楽なので、とても気に入っています。

― 映画評論家のかたがたのお声をはじめとして、『先生を流産させる会』にはたくさんの賛辞が集まっていますね。

内藤:映画評論家の柳下毅一郎さんや、ライムスターの宇多丸さんといった、自分が読者やリスナーとして存じあげていたかたがたにも褒めていただけて、とても驚いています。「ちょっと褒めすぎじゃないかしら」と思うくらいに(笑)。
でも本作を撮ってみて、自分には未熟な部分がまだまだ多くある、と感じています。監督としてステップアップしていくにはどうすればよいのか、と常に考えています。ですから、賛辞のコメントをたくさん頂戴したのはボーナスのようでとても嬉しいのですが、それらのお言葉にあまり依存しないようにしようとは思っています。でも、落ちこんだときには読み返してしまうかもしれません(笑)。

『告白』とは確実な違いがあったので、方向性について逆に自信を持てるようになった

― 『先生を流産させる会』を、中島哲也監督の『告白』(2010)と併評なさっている映画評論家のかたも多いですが、内藤監督ご自身は『告白』を意識なさった部分はありますか?

内藤:『先生を流産させる会』の題材を探している時点や、脚本を書いていた当時は、『告白』はまだ世に出ていなかったので、当然、意識はしていませんでした。脚本の第1稿を書きあげた頃に『告白』の公開情報を知って、「やばい、かぶってる」と感じました(笑)。しかも、『告白』はヒットしたので、これは確実に便乗だと思われるかな、と。『告白』も賛否両論のあった作品ですが、僕は劇場で拝見しておもしろいと思ったんですよ。ただ、僕が『先生を流産させる会』で描きたいと考えたスタンスとは確実に違うとも思いました。特に、おとな側から子どもに対するけじめのつけかたが違います。また、『告白』の生徒役はプロの女優さんが演じられているので、素人に演じてもらうと考えていた僕の演出プランとは異なります。

そのような確実な違いがあったので、自分が撮ろうとしている作品の方向性について、逆に自信を持てるようになりました。むしろ、『告白』と比べられてもよい、と考えました。比較されることで、両方の作品を気に入るかた、どちらか一方の作品を受けいれるかた、いずれにも納得しないかた等、いろいろなご意見が出てくると想像できましたが、それはとてもよいことだと思ったんです。
ある1本の映画が語るメッセージが絶対的な真理ではありません。似たような題材で複数の視点があるということは、(映画の観方を)豊かにしてくれます。方向性は似ていてもスタンスは確実に違う映画が同時期に存在することには意味があると思ったので、僕が『先生を流産させる会』を撮ることには意味がある、と確信してクランク・インをした感じがあります。

「いつまでも10代をひきずっていてはいけない。おとなにならなくては」という気持ちを強く持っている

― 内藤監督の『牛乳王子』(2008)、『お兄ちゃんに近づくな、ブスども!』(2012)、今回の『先生を流産させる会』、3作を続けて拝見しました。一連の作品の共通点は、若者の欲望や鬱屈が暴力的な爆発の仕方をしているところだと感じたのですが、それは監督が一貫して描いていきたいと考えていらっしゃるテーマなのでしょうか?

内藤:僕自身が、とても鬱屈した10代を送っていたんです。『お兄ちゃんに近づくな、ブスども!』の登場人物のように、白い膿が出るくらいのニキビが顔中にあって、劣等感を感じていました。また、女子に人気のある、スポーツが得意でちやほやされている男子に羨望をいだいてもいました。女の子と話してみたくても、「気持ち悪いと思われてるんだろうな」と考えて話しかけられないような少年だったんです。
特に高校時代は、そういう鬱屈を強く感じていました。通学の電車で同級生に会うのが嫌で、わざわざ家から50分かけて自転車で高校へかよっていました。そのときに、音楽を聴きながらずっといらいらしていたのを憶えています。ちょうどその頃、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)が起こりました。また、僕の地元では、中学生がお婆さんを殺す事件もあったんです。子どもによる凶悪犯罪が身近で、それらの事件がはらんでいる狂気を、ある意味、実感として覚えていました。

僕は今年30歳で、働きながら自主制作で映画を撮っていますが、「子どものままではいけない。おとなにならなくては」という気持ちがあるんです。『先生を流産させる会』のサワコ先生や、『牛乳王子』に登場する教師は、「いつまでも10代をひきずっていてはいけない」という意識の象徴なんです。
自主制作で映画を撮っている監督は、自分自身のことを作品で語るかたが多いです。夢を追い続けること、恋人ができた・できない等、監督自身の状況を撮った作品が目立ちます。僕自身も映画を撮る際にそういう部分はありますが、「いつまでもそんなことを言っていてはだめだ。おとなにならなくては!」という思いは強く持っていますね。

いまの僕にとって自由度の高い自主制作で撮ることは成長にならない

― 本作が好評を博したことで、今後、商業映画を手がけるチャンスが増えるかと存じます。商業映画と自主制作映画では、主に自由度という点で大きな違いがありますが、その点についてはどのようにお考えでしょうか?

内藤:自主制作なら、自由度を確保したまま作品を撮り続けることができると思います。ですが、いまの僕にとって自由度の高い自主制作で撮ることは成長にならないと考えています。
『先生を流産させる会』もそうですが、(僕の撮った自主制作映画の)スタッフの多くは、ボランティアで参加してくれました。現場で文句を言う人はいませんでしたが、この状態でずっと続けていくのは違うと思っています。ボランティアで参加してくれたスタッフたちにも、「これで出世しろよな、内藤。だから、今は協力してやるんだぞ」という気持ちがあると思います。

社会に出て働くことで、10代の頃の甘さを痛感することになり、それが作品に反映されてきた

― 映画を作りたいと思われた、そもそものきっかけは?

内藤:初めは漫画家を目指していて、次に演劇に携わりましたが、いずれもうまくいきませんでした。「(自分の表現方法は)映画かもしれない」と思った頃に、就職しなくてはならない年齢になっていたので、「趣味として映画を撮れればいいや」と考えて、働きながら映画を作るようになりました。
社会に出て働くことで、10代の頃の自分の甘さを痛感することになり、それが作品に反映されてきました。結果的に、学生時代に撮った作品よりも、社会人になってから作った映画のほうが評価していただけたんです。

― 就職なさってから、映画美学校にかよわれたのですか?

内藤:就職する少し前からです。美学校の授業は平日の夜と休日だったので、就職試験を受けながら美学校に入学しました。父親に「就職してない奴は人間ではない」って叱られたりしてたんです(笑)。
現在も、映画とは無関係の仕事に勤めていますが、そのおかげで映画一色の生活にならずにいられて、仕事も充実感を覚えています。今後、商業映画を手がけることになるなら、この状況について改めて考えなくてはならないとわかっていますが。ただ、たとえばフリーターをやりながら自主制作をしている映画監督の多くは、自分の身のまわりにある題材で映画を撮りがちです。そういう作品は、日頃、会社員として働いている人が映画を観に行こうと考えたときに選ぶ作品ではないと思うんです。ですから、僕は社会人として働いていてよかった、とは実感しています。

【 内藤瑛亮(ないとう・えいすけ)】
1982年生まれ。愛知県出身。映画美学校フィクション・コース11期生修了。短篇『牛乳王子』(2008)が、スラムダンス映画祭2010をはじめ国内外の映画祭にて上映され、注目と話題を集めた。BS-TBS『怪談新耳袋 百物語』の一短篇「寺に預けられた理由」(2010)にて、TVドラマ作品を初めて演出。2011年、高橋洋監督『恐怖』のバイラルビデオを制作。長篇第1作となる『先生を流産させる会』(2011)は、カナザワ映画祭、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門にて正式招待され、劇場公開が決定する前から、観客や著名人に絶賛される。ショートピース!仙台短篇映画祭の311企画『明日』にて短篇『廃棄少女』(2011)を出品。チッツの『メタル・ディスコ』を主題歌に据えた短篇『お兄ちゃんに近づくな、ブスども!』(2012)をMOOSIC LAB2012にて発表。今後の日本映画界を確実に牽引していく、新進の映画監督のひとりである。

 

▼ 『先生を流産させる会』作品・上映情報
(2011年/日本/HDV/62分)
監督・脚本:内藤瑛亮
出演:宮田亜紀、小林香織、高良弥夢、竹森菜々瀬、相場涼乃、室賀砂和希、大沼百合子 ほか
脚本協力:佐野真規 松久育紀 渡辺あい
撮影:穴原浩祐
製作協力:映画美学校
©2011 内藤組

『先生を流産させる会』公式ホームページ

※ 2012年5月26日(土)より、渋谷ユーロスペースにてレイトショーほか全国順次公開予定

 

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