【緊急インタビュー】『灯せ』再上映—表現者・安楽涼が灯し続けようとするもの
- 2021年12月22日更新
今年8月に池袋シネマ・ロサで1日限定緊急上映された、安楽涼監督の最新短編作『灯せ』が、2021年12月25日(土)〜30日(木)に再び池袋シネマ・ロサで上映される。24分という短編、しかも一度限りの上映ながら大きな反響を呼んだ本作は、緊急事態宣言下の東京を舞台に、表現の場を求めて葛藤する3人の若者たちの姿を描く群像劇だ。コロナ禍において「しょうがない」を受け入れ続けることに限界を感じた安楽監督が完成させたという本作。そこに込められた“思い”と “人知れず抱えていた葛藤” とは——?
(取材・撮影:min)
◆『灯せ』作品レビュー↓↓↓
“歩き続けるための映画”
— 単独インタビューでご登場いただくのは、2019年5月の『1人のダンス』以来ですね。あれから約2年半、監督としても俳優としても、怒濤のように映画作品に関わられてきましたね。
安楽涼監督(以下、安楽):怒濤でしたね。なかなか体験したことのない人生でした。それまでが暇を持て余していたのもありますが(笑)。
— 精力的に活動をしながらも、2020年以降は新型コロナの蔓延に苦しめられたと思います。そんな中で生み出された『灯せ』はコロナ禍の東京が舞台ですが、どういった経緯で制作に至ったのでしょうか。
安楽:そもそものきっかけは、新型コロナの影響で新作映画の撮影が止まってしまったことです。友人のラッパーに依頼されてMV+映画のような作品を撮る予定で、出資してくださる方もいて、今年の初めから脚本を書いたりスタッフを集めたり準備していて、梅雨の時期に撮ることも決まっていたんです。ところが、コロナの影響で出資者の事業が不振に陥り、とても映画どころではなくなったということでクランクイン直前に企画自体がなくなってしまって。
— それは、やりきれないものがありますね……。
安楽:撮ろうとしていた映画が無くなるという体験は初めてで、もう喪失感というか、怒りなのか悲しみなのか、行き場のない感情でいっぱいになりました。実は、その作品の主演をオファーしていたのが、今作で映画監督を演じたサトウヒロキなんです。 すぐヒロキに電話をして「ごめん、企画がなくなっちゃった」と言ったら、「脚本もできているんだし、お金とかギャラとかは何でもいいので、今やれることをやりましょうよ」って言ってくれたんですが……。僕にとっては無くなったものは無くなったものだし、「そういうことじゃないんだよ。ごめん、またいつかやろう」って電話を切ってしまったんです。
— そうだったんですか……。
安楽:その夜は全然眠れないし、自分がどうしたいのかも分からないし……。こういう時はいつも、思うことを書き出してみるんですね。と言っても僕の場合は、箱書きか脚本なんですけど。それで一気に書き上げたのが『灯せ』の脚本なんです。
書いてみたら、「一度は映画を撮ることを辞めてしまった人間だけど、まだやりたかったのかもしれない」と気が付いて。ただ、その感情も瞬間的なものかもしれないし、1〜2週間くらい時間を置いて、まだ撮りたいと思えるのかどうか一度自分を試してみたんです。
— 意外でした。ただただ「撮りたい!」という思いで作られた作品ではなかったんですね。
安楽:そうこうしているうちに、だんだんと雨の日が多くなってきて、「梅雨に映画を撮るはずだったんだよな……」という焦りも出てきて、取り敢えずは、自分の中で一緒にやるのが決まっている人だけに脚本を送ろうと、ヒロキとDEGに送ったんです。そしたら、ヒロキから本当にすぐに「やりましょう!」って返事がきて、DEGも「やるやる!」って言ってくれて。
— ついに賽は投げられた、と。そこで安楽監督も完全に制作意欲を取り戻せたんですか?
安楽:そうですね。コロナ禍で、いろんな我慢をしながら映画の公開を続けてきて、さらに撮りたい映画すら無くなって……そういう「しょうがない」を受け入れ続けるのも限界にきていたんですよね。だから、今もう一度自主映画を撮るしかないと思って。
— 逆説的にそうなった(笑)。
安楽:そうです(笑)。今自分が持っているお金の範囲で最低限のギャラを支払って、会場費も払って、やれることをやろうと思い直したんです。コロナ禍で僕自身も映像の仕事がなくなっていたし、普通にUber Eatsのバイトとかをやっていましたけど(笑)。でも、撮りたかった映画が無くなったのを認めてしまうと、きっと自分の足は止まってしまうと思ったんです。だから、“歩き続けるための映画”として撮ることにしたんです。
— “歩き続けるための映画”、だったんですね。
ここで立ち向かわないと、きっと映画を辞めてしまう
— コロナ禍でも、いつも精力的に作品に挑まれていてすごいなと思っていたのですが、やはり相当な苦しみも抱えていらしたんですね。
安楽:こんなに苦しい中でやりたくないって、実際何度も辞めたいと思いました。緊急事態宣言で映画が公開延期にも、上映中止にもなった。さらに撮る映画すら潰されたら、ここで立ち向かわないときっと自分はもう映画を辞めてしまうと思ったんです。
撮りたくて撮っていて、映画にすごく楽しませてももらっているけど、コロナ禍で作品を公開するのも恐怖にもなってきていたし。なんで俺は、皆が自粛を叫んでいる時にわざわざ映画を公開して、皆に「来てください」って言い続けているんだろうって。「行きたいけど、コロナで行けないよ」って言われることもすごく多かったですし。
— そうですよね……。ご家族への配慮や感染のリスクを考えて、行きたいけど行けないという方も多かったと思います。
安楽:実際のところ、自分自身もコロナに対して恐怖心があったんです。自分が感染して人にうつしてしまったり、何かやらかしてしまったりする可能性があると思うのもしんどくて。
— 普通に映画を撮っているだけで、どうしてそんなことまで背負わなくちゃいけないんだろうと思いますよね。
安楽:常にメンタルがギリギリの状態でした。『灯せ』の前の作品が無くなった時がピークで、この1〜2年溜め込んでいた膿がドバっと一気に出たんですよね……。いろいろ我慢して、やりたい映画まで無くされるなら、もう世の中に「映画は辞めたほうがいいよ」って言われているようにすら感じてきて。その感情が煮詰まり返った結果、『灯せ』を撮るしかないと思えたんですけど。まずは今の東京とちゃんと向き合おうと思って、東京の実景を一人で撮りに行ったんです。
強制消灯される東京の街と心象風景を重ねて
— 本作において、緊急事態宣言下の街の映像が訴えかけてくるものは、物語のパートと同じくらい大きいと思います。
安楽:新宿でバイトをしていて、夜20時になるとネオンが消えることに気付いたんです。飲食店も映画館も営業したいはずなのに、何でこんなに容赦なく道筋を断たれているんだろうと思って。強制的に灯りを消される夜の東京の風景と、映画という光を無理矢理消されようとしている自分の心象が重なったんですよね。それで劇中パートを撮る前に一週間毎日車で街に出て、朝から夜中まで撮影したんです。こんな世界、早く変わってほしいという思いもあって。
— その叫びのような感情が、映像にすごく反映されていたと思いますし、スクリーンに映し出されていたのは、まさに今しか撮れない東京でした。映画には時代を記録するという意義もあると思いますが、そこにご自身の心象風景を重ねた作品は文字通り二度と撮れないもので、そこに実直にカメラを向けた意義はとても深いと思います。
安楽:僕自身も時代の記録という意義は感じていましたし、コロナでいろいろな人が苦しんでいるのを見てきたから、これ以上、に苦しむ人がいなくなってほしいという願いも込めて、僕だけの話ではないものを撮りたかった。だから東京の実景も含めた群像劇にしたいと思ったんです。
わんちゃんの目の強さが圧倒的に必要だった
— 今作では、単独で監督されたこれまでの作品と一線を画す要素がいくつかありますね。まず一つは先ほど安楽監督がおっしゃったように群像劇であること。もう一つは、ご自身が出演されていないこと、さらに女性の主人公が登場することです。登場人物が 、映画監督、舞台女優、ラッパーという設定は、脚本の初稿の時点から決まっていたのですか。
安楽:脚本は初稿からほぼ変えてないです。ヒロキとDEGは当て書きみたいなものでしたし。ただ、舞台俳優はもともと男を想定して書いていたんです。特にこだわりがあったわけではないですが、いつものように男ばかりの映画を何となく書いていて。自分より若い人がいいなというのはあったけど、男であの役を演じる人が思い浮かばなかったんです。
— そうだったんですね。そこからどのような経緯で舞台女優役を円井わんさんにオファーされたのですか。
安楽:わんちゃんは『コントラ KONTORA』(アンシュル・チョウハン監督/2020年)を観て強い衝撃を受けて、面識はなかったけど所属事務所にオファーさせていただいたんです。
— 『コントラ KONTORA』の円井さんの存在感は圧巻でしたよね。私も作品を拝見して「円井わんさん、すごいから観て!」ってしばらく周囲に言いまくっていました。
安楽:わかります! 僕は怒りを抱えた人間ですけど、30歳になって何かを睨むことは少し怖くなってもいるんですよ。監督として観客の前とかに出る立場になって、僕が何かやらかしたら、映画に関わってくださった人たちに迷惑がかかるわけで。
— ちゃんとしないといけない立場になってしまったと。
安楽:そうですね。そんな中で『コントラ』のわんちゃんを観て、「これだよ、この目だよ!」と思ってしまったんです。東京と向き合うには、わんちゃんの目の強さが圧倒的に必要だって。わんちゃんの演じた役には、自分のなりたい姿を託してもいるんです。自分は映画を一つ辞めてしまったけど、彼女は舞台をやり続けている役で。自分も本当はそうなりたかった。全部の役に自分の感情を反映はしてはいますけど。
がんばり続けている若者に思いを託した
— ご自身が演じずに、それぞれの役に敢えて託した意図は何だったのですか? 特に映画監督の役は、モロに安楽さんでしたけど(笑)。
安楽:たしかにモロ僕っすよね(笑)。でも、この作品はコロナと芸術にちゃんと向き合っている表現者三人の話なんです。僕はヒロキがいろいろ言ってくれたにもかかわらずに、撮るのを辞めようとした人間で、「一度は逃げたんだ」っていうのを自分自身できちんと認めようと思った。そういう意味でも、自分が演じるのは違うと思ったんですね。ちゃんとがんばり続けている若者に演じてほしかったんです。
— かなりご自分に厳しい気もしますが、歩み続けている彼らに思いを託したんですね。
安楽:そうです。ただ、ヒロキとわんちゃんの役は自分自身の気持ちも乗せているから、撮影に時間もかけましたし、演出はさせてもらいました。逆にDEGには何も言わなかったです。『追い風』の時にさんざん言ったし(笑)、今作では敢えて距離を置いてDEGを撮りたいと思ったんです。脚本を送ってからクランクインの前に一度だけ自分のやりたいことを話して、一発目にやったライブのシーンを使っています。
— そうだったんですね。サトウさんと円井さんにはどのような演出をされたのですか。リハーサルを何度もやったとか?
安楽:合わせてみたのは一度だけですけど、話をたくさんしました。クランクイン前に僕とヒロキとわんちゃんで集まって、どうしてこの作品を撮りたいのかとか。
— お二人はどのような反応でしたか。
安楽:二人とも僕が思っている以上にコロナに対して疲れてはいるようでした。その中で、ヒロキは自分の思いを話してくれて、わんちゃんは逆に僕の話をすごく聞いてくれていました。
鮮烈な印象を残した「青い」衣装に込めた思い
— 女性主人公にご自身の思いを託すという初の試みを通して、円井さんとコラボレーションをした感想は?
安楽:めちゃくちゃ刺激的でした。わんちゃん自身もすごく感情的な部分も持っているはずなのに、一歩引いて自分を見られているというか。演出したことを冷静に受け止めて、役に落とし込んでくれるんです。その姿を見て、「これなら立ち向かえる!」と確信しました。それと、先ほども言ったように圧倒的に強い目をしている。演技も自分の想像とは違うものを見せてくるけど、それが常に想像の上をいっていて、「この人と映画を作れて良かった!」と心底思いました。
— ポスタービジュアルも円井さんの強い眼差しと青いドレスのコントラストがとても鮮烈でした。周囲からも言われませんか?
安楽:めちゃくちゃそう言っていただきますね。青い衣装を選んだのは僕ですけど、映画を作り続ける中で、衣装もすごく大事な要素だっていうことに気付いたんですよね。今回は衣装合わせもちゃんとやって決めました。
— なぜ「青」を選ばれたのでしょうか。
安楽:わんちゃん=青っていうのは直感的に決めていたんです。「青い」とか「青くさい」って言われるのって、実際はちょっとネガティブな意味なのかもしれないけど、僕は初期衝動みたいな本能的な感情に興味があって、「青」はそれを象徴している色だと思ったんです。彼女の役はなりたかった自分でもあるから、絶対に青い衣装を着てもらいたかったんです。
自分を正解にしないために
ヒロキに演じてもらえて本当に良かった
— 私も『1人のダンス』で安楽監督に初めてお会いした時、面と向かって「こんなに青くさい主人公を見たことがない」って言いましたよね(笑)。もちろんそれはポジティブな意味ですけど。
安楽:言われましたね(笑)。今回、わんちゃんとヒロキを撮ったことで、僕自身がすごく救われたんです。なりたかった自分を演じる彼らを見て、「そうだ俺はまだ撮らなきゃいけないんだ」って思えました。ヒロキの演じた映画監督は僕自身でもあるから、自分を俯瞰できたというか。彼を見て「自分を演じてくれる人がいると、こうやって自分を見ることができるんだ」っていう感動もありました。
— サトウさんの演じた映画監督を拝見した限り、安楽監督は完ぺきにご自身を俯瞰できていたと思いますよ(笑)。
安楽:ははは(笑)。ただ、ヒロキはすごく優しい人間なので、怒るシーンでもやっぱり自分とは違うんですよ。「何でヒロキはもっと怒らないの?」と聞くと、「良心が出てきてしまって……」なんて言われて。そこで、「ああ、そうか。俺だけど俺じゃないんだよな」と、気付くんです。僕自身のいろいろな感情を経て作っている映画だけど、観る人それぞれに正解はあるはずで、自分が演じたら、それが正解のような描き方になってしまうと思ったんです。この作品は僕の話が出発点ではあるけど、それもあくまでコロナ禍で見てきたいろんな風景の中の一つだから、観る人によっては、ちゃんと映画監督が悪く見えるようにも描きたかった。そういう俯瞰ができたからこそ撮れた作品だと思っているし、ヒロキに演じてもらって、本当に良かったと思いますね。
“三人の若き表現者” と “東京” が主役の群像劇
— 今までの作品では自身の感情のほとばしりを自ら演じることで表現していたけど、今作では、サトウさん、円井さん、DEGさんのフィルターを通して、さらに三人+東京という群像劇にすることで、“客観性”を加味した。そこがこれまでの作品との違いですね。
安楽:僕の映画作りはすごくパーソナルなところから始まったけど、劇場公開作品を撮る道を進み出してしまって、圧倒的に映画作りそのものに興味が移ってきたんです。自分の感情にはずっと興味があるから、それを描き続けているのは変わらないですけど。過去の作品を撮った時と今とでは感情の面でまったく違うし。大前提として同じことを繰り返したくないというのもありますし、映画制作と共に大人になっていきたいんですよね(笑)。
— 以前のインタビューの時よりも、ちょっぴりお兄さんになられましたね(笑)。
安楽:お兄さんになったかもしれないですね(笑)。でも、その時々に思っていることをずっと映画に記していきたいんですよ。これまでは東京に興味なんかなかったですから。コロナ禍になって、東京でいろんなことが起きて、もちろん東京だけじゃないけど、いろんな友人が苦しんでいるのも見て、人の感情も考えるようになって。映画を撮りながら、自分を客観視できているんじゃないですかね。
— 『1人のダンス』のインタビューでも、「作品を撮ることで、自分の本当の感情に気付けた」っておっしゃっていましたよね。経験を重ねて、感情の引き出しも増える度に、撮りたいものもどんどん変わっていく中で、安楽さんはやっぱり映画を撮ることで自分を確かめているんですね。
安楽:未だに確かめていますね。『灯せ』を撮って、まだ映画を辞めたくないと思えましたし。
映画館に光を灯し続けたかった
— 本作は、コロナ禍でも表現することをあきらめないという、安楽監督の意思表明とも言える作品です。緊急事態宣言真っただ中の今年8月に、池袋シネマ・ロサで1日限定上映をされたのも、その強い意志の提示だと思いますし、やはり、あの時点で上映することに意味を感じていたのでしょうか。
安楽:制作の時点では誰にも話していなかったけど、緊急事態宣言下で上映するためにこの映画を作っていたんですよ。この映画は街から灯りが消える風景を映した映画でもあるけど、自分が映画を撮ることで、映画館に光を灯し続けることができると思ったんです。
それで、「どうしても上映させてほしい」ってロサの編成担当の方に観ていただいて、「今上映したほうがいい」とも言っていただいたんですけど、さすがに1週間の上映スケジュールを急に押さえるのは難しいということで、どうにかこうにか1日だけ上映させていただいたんです。短編1本だけの上映で、しかも料金500円というのはロサでは前例がなかったそうですし、告知も上映の直前になってしまったけど、ありがたいことにたくさんの方が観にきてくれて。それで、やはりまたちゃんと興業として上映したいと思って再度劇場にお願いをして、今回は6日間上映させていただくことになったんです。
コロナ禍で感じたことには、絶対的な正解がない
— 最後に少し厳しい質問をさせていただきます。新型コロナの感染状況が少し落ち着いてきたとはいえ、この作品を公開することで批判を受けたりする覚悟も必要かと思いますが、いかがですか。
安楽:この作品に対しての批判も当然あると思います。コロナ禍でいろんな選択をされた方がいる中で、自分の選択が本当に正しいのか、傷つけてしまう人がいるんじゃないかという自問自答は常にありますし、怖いという感情もあります。いろんな考え方がある中、コロナ禍で感じたことには絶対的な正解がないということもすごく感じています。政治の話ではないけど、一人ひとりが尊重されてこその世界だと思うし、そういう意味でも群像劇としてこの作品を描きたかったんです。それは責任を散らすということではなくて、一つの答えを出したくないという意味を込めています。
— おっしゃる通りだと思いますし、この作品で安楽監督が灯し続けようとするものに勇気をもらう方も、背中を押される方も、きっとたくさんいらっしゃると思います。
安楽:コロナ禍でさまざまな選択をした人を、誰一人として否定したくないと思っていますし、僕自身もたくさんの選択肢を経た中で、自分がこれからも歩き続けるための一つの意思表明として撮った作品です。コロナと闘ってきた2020年と2021年のことは一生忘れないだろうし、そういった思いを映画に記したので、ぜひ映画館で観ていただけたら嬉しいです。
安楽涼監督プロフィール
【安楽涼/あんらく・りょう】
東京都江戸川区西葛西出身。1991年生まれ。18歳のときに役者としてキャリアをスタートし、その後、自分が出演したいが為に映画制作を始める。映像制作ユニット「すねかじりSTUDIO」では、映画やMVの監督として活躍。2019年に初長編監督作『1人のダンス』で劇場デビュー。以降、監督作『追い風』『まっぱだか』が劇場公開されるなか、主演作『轟音』(片山享監督/2019年)が多数の海外映画祭で称賛を受ける。現在、役者としての公開待機作に『春原さんのうた』(杉田協士監督)、『サイキッカーZ』(木場明義監督)、『階段の先には踊り場がある』(木村聡志監督)などがある。また、2月には関東での『まっぱだか』公開も控える。
作品・公開情報
▼『灯せ』
(2021年/日本/24分/ステレオ/アメリカンビスタ/DCP)
出演:サトウヒロキ、円井わん、DEG、片山享、谷仲恵輔、藤田義雄、長野こうへい、辻凪子 ほか
監督/脚本:安楽涼 監督補:片山享
撮影/照明:深谷祐次 録音:林怡樺、坂元就
主題歌:DEG「No Picture」
●上映期間:2021年12月25日(土)〜12月30日(木)
●上映館:池袋シネマ・ロサ(東京都豊島区西池袋1-37-12 ロサ会館内)
●料金:500円均一
※上映時間・上映イベント等の詳細は劇場公式サイトにてご確認ください。
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