『先生を流産させる会』公開直前試写会&トークショー—寺脇研氏と内藤瑛亮監督が語る、最凶の教育映画。

  • 2012年06月04日更新

 2012年5月24日、映画『先生を流産させる会』の試写会が渋谷の映画美学校試写室にて行われた。実際に有った事件をベースに、思春期の少女たちと教師との“いのち”をめぐる葛藤にしっかりと向き合った最凶の教育映画と評判の本作。上映後のトークショーでは元文部官僚で映画評論家の寺脇研氏と内藤瑛亮監督が登壇し、本作のみどころや日本の教育現場の実情について語った。(写真 左・内藤瑛亮監督 右・寺脇研氏)

「“先生を殺す会”よりも“先生を流産させる会”のほうが、はるかにまがまがしくおぞましい印象を受ける。それは何故だろう? というのが発想の出発点でした」(内藤監督)

寺脇研(以下、寺脇) ネット上で物議を醸している映画だと聞いていたけど、実際に観て、何でそんなに言われるのかなというのが正直なところ。結局は映画を観ていない人がバッシングをしているんじゃないの?

内藤瑛亮監督(以下、内藤) 確かに、観ていない方が「こういうタイトルの映画を作るのはどうか」と激しく非難していたのは有りました。

寺脇 でも、それは確信犯でしょ?

内藤 そうです。そもそも、実際の事件を映画化しようと思ったきっかけは、その詳細よりも「流産させる会」という言葉に衝撃を受けたからです。流産をさせるという行為は、人を殺すという行為より罪は法的には軽いけど、“先生を殺す会”よりも“先生を流産させる会”のほうが、はるかにまがまがしくおぞましい印象を受ける。それは何故だろう? というのが発想の出発点でした。だからこそ、この言葉をタイトルとして出さざるを得なかったし、エンドロールの前にもう一度タイトルを出したのは、ドラマを観た後にあらためてこの言葉をどう思うかという問いの意味を込めています。

寺脇 日本の学校というのは特殊な現場で、ほぼ戦前から女性がたくさんいて男女の差別なく生涯に渡って働き続けられる。そういう職場はほかには無いと思うんです。最近は男女共同参画と言われていても、実際はまだまだ男社会な中で、子どもたちにとっては学校だけは女の先生が男性と同様に自分を叱ったりする異質な空間に見えるのかもしれないですよね。そこがひとつ、学校を舞台にすることの意味でも有ると思うんですよ。監督ご自身は、そもそも教育問題に関心が有ったのですか?

内藤 学校を舞台にした話はやりたいとは思っていました。寺脇さんがおっしゃったように、学校はほかの社会とは違う変な空間だとは思っていたんです。女性が多いというのに限ったことでは無いですが、明らかに異質なのに誰もが経験している空間ということで。この作品の前に撮った『牛乳王子』(2008)もそうですが、物語を発想する時に気が付けば舞台が学校になっていることが多いですね。

「この社会と、映画を作った人と、それを観ているわたしはどういう関係なんだろうと考えさせるのが社会派映画とするならば、この作品は充分に社会派」(寺脇さん)

寺脇 実際の事件を題材にするというのは、昔のピンク映画とかロマンポルノなどの日本映画で伝統的にやっていたことですよ。いかに実話を映画として持っていくか。今はすぐに漫画や小説の原作に頼りますけど。

内藤 この映画は自主制作で撮ったのですが、自主映画で評価される作品は、監督自身の小さな悩みを小さく描いてそこに共感するような半径5メートル以内の話が多いんですよね。自分はそういうのはつまらないと思っていて、実話をもとに映画を作ることで他者を知るというか、自分の中には無いものを取り入れることで作品を大きく広がったものにできるのではないかと思ったんです。多くの人に興味を持ってもらえる題材として意識的に実際の事件を選びました。

寺脇 この社会と、映画を作った人と、それを観ているわたしはどういう関係なんだろうと考えさせるのが社会派映画とするならば、この作品は観る側も参加できる意味で充分に社会派。そういう映画が観たい。しかも、それが起こる場所が学校で、実際には男子生徒だったのを女子生徒として描いたという話の組み立て方も刺激的ですね。

内藤 男子生徒を女子生徒という設定にした理由は、男子生徒だと「嫌いな先生がいる、その先生が妊娠している、流産させよう」という発想の展開になると思うのですが、「先生を流産させる」という言葉のまがまがしさに迫るためには、先生が妊娠していること自体に嫌悪を感じるキャラクタ−である必要が有ったんです。女の子は自分が妊娠できる身体に変化していく時期で、それが成り立つと思いました。また少女たちにとって妊娠した先生は未来の自分像でも有り、先生にとって少女たちはかつての自分でも有る。そういう意味で今の自分を越えていくというテーマにもしたかったんです。

寺脇 学校の先生は産休も取れるし、職場復帰をしやすいという点で子どものいる人が多いんです。つまり先生が妊娠している姿をわりと生徒に見せているんですね。実はその意味というのはあまり考えられていなくて、昔の教育映画にしても、生徒が先生の出産を通して命の大切さを知るとか、良い面だけで捉える偽善性が有る。もちろん学校は偽善性が無いと成り立たない場所だから、そこを否定するつもりは無いけれど、中学生くらいになると自分たちも身体が変化する年ごろなわけだから、嫌悪感を持つ生徒もいる。こういう映画のアプローチも有るということですよね。

内藤 僕は映画美学校で映画を学んでいたんですが、講師である井土紀州監督はまさにピンク映画で事件をもとに脚本を書いていた方で、「物語は常に逆説的であるべきだ」とおっしゃっていたんです。「流産させる会」という言葉はまさに誰もが拒絶反応を示す言葉で、でもその言葉を突き詰めれば逆説的に肯定したいものが描けるのではないかと思いました。

「モンスターというレッテルを貼った時点でその人のやることは異常だという話になりますよね」(寺脇さん)

「それぞれの正義が摩擦しあっているところを見せられれば良いと思って、この作品を撮りました」(内藤監督)

寺脇 この映画には先生と少女と、もうひとり重要な女性が出てきますよね。

内藤 フミホのお母さんですか。

寺脇 そう。お母さんも女なんですよね。自分の娘を囲うというか干渉する、そういう女の在りようというか。単純にモンスターペアレントということでは無いですよね。

内藤 実際に小中学校で働いている方に取材をして、それこそ漫画みたいな過剰なクレームを付けてくる母親がいるということで映画にも取り入れたのですが、悪役にはしたくないと思って。モンスターと言ってしまうと一面的で悪になってしまうけど、その背景には人間として子どもを大切にしたいという思いが有る。それを否定する必要は無いと思いました。

寺脇 モンスターというレッテルを貼った時点でその人のやることは異常だという話になりますよね。この映画の中でも、あの母親が言っていることは誰が聞いてもめちゃくちゃだよなと思うことと、そうじゃ無いことも有る。

内藤 そうですね。それなりに筋が通っているんですよ。先生にしても生徒や保護者にしても、ドラマとしてこの人が正しいって最初から打ち出してしまうと押し付けになる。それぞれの正義が摩擦しあっているところを見せられれば良いと思って、この作品を撮りました。

《ミニシア恒例、靴チェック!》
内藤瑛亮監督 寺脇研さん

▼ 『先生を流産させる会』作品・上映情報
日本/2011/HDV/62分
監督・脚本:内藤瑛亮
出演:宮田亜紀、小林香織、高良弥夢、竹森菜々瀬、相場涼乃、室賀砂和希、大沼百合子ほか
脚本協力:佐野真規 松久育紀 渡辺あい
撮影:穴原浩祐
製作協力:映画美学校
コピーライト:(C)2011 内藤組
『先生を流産させる会』公式ホームページ
※ 5月26日(土)より、渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開中。全国順次公開予定。

取材・編集・文:min スチール撮影:やなせゆうこ

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