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【独占レポート】『二十六夜待ち』越川道夫監督&諏訪太朗さんトークショー― 映画を愛し、現場を愛し、仲間を愛する二人の超貴重なトーク
- 2018年01月13日更新
『海辺の生と死』『月子』の越川道夫監督が佐伯一麦氏の同名小説を基に映画化した『二十六夜待ち』。本作のトークショーが2018年1月5日(金)に東京のテアトル新宿で行われ、越川監督と本作のキーパーソンともいえる木村役を演じた諏訪太朗さんが登壇しました。越川監督が尊敬する俳優のひとりだと公言する諏訪さんは、70代後半から80年代の自主映画シーンのトップランナーとして長崎俊一監督作品を中心に活躍し、現在も日本映画界屈指のバイプレイヤーとして多くの映画人とファンに愛され続ける名俳優。傑作と謳われた数々の自主映画作品の裏話に始まり、映画を愛し、映画制作の現場を愛し、映画を作る仲間を愛するお二人の情熱がひしひしと伝わってくる超貴重なトークを、ミニシア独占取材でたっぷりとお届けします!
「諏訪さんを初めてスクリーンで観たのは10代でした」(越川道夫監督)
越川道夫監督(以下、越川):僕は今52歳ですけど、諏訪さんを初めてスクリーンで観たのは10代でした。
諏訪太朗さん(以下、諏訪):俺は20代かな。髪の毛がまだ有ったんじゃない(笑)?
越川:有りました(笑)。僕が高校生の時に、地元の自主映画団体が開催した長崎俊一監督の自主映画『ハッピーストリート裏』*1(1979)と『映子、夜になれ』*2(1979)の上映会で初めて拝見したんです。
*1…それぞれの事情を抱えた男女4人がふとしたことで知り合い、殺し屋たちから現金を強奪したことで追い込まれていく姿を描く。自主映画史上の伝説的クライマックスともいわれる廃ビルでの銃撃戦シーンは必見。70分の16ミリ作品。
*2…静岡県富士市を舞台に逃げてきた男と、スナックで売春する女の刹那的な出会いを描く、80分の8ミリ作品。
諏訪:両方とも俺は殺し屋の役だね。映画公開のリアルタイムじゃなくて、ちょっと後なのかな。
越川:そうだと思います。諏訪さんは、そもそもなぜ役者を始めたんですか?
諏訪:中学生の頃から映画が好きで、洋画を中心にめちゃくちゃ観ていたんです。邦画で初めて自分で入場料を払って観たのが、増村保造監督の『でんきくらげ』(1970)と、加藤泰監督の『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970)。それまではちょっと日本映画をばかにしていたんだけど、そこからすっかりハマっちゃって。映画監督になりたいと思ったんです。
越川: 監督志望だったんですか!
諏訪:でも、監督ってむちゃくちゃ難しそうな気がして。映画関係で、一番楽な仕事は役者じゃないかなと思ったの(笑)。それと、『仁義なき戦い』(1973)を観て、ああいうのがやりたいと思ったのがきっかけ。あとはゴジラみたいな特撮ものとかね。
越川:ゴジラといえば、『シン・ゴジラ』(2016)に出られていましたよね。最初に出演されたのは舞台ですか?
諏訪:そう。映画がやりたかったけど、当時はもうニューフェイス*3がなかったから。金子信雄さんの「新演劇人クラブ・マールイ」っていう劇団に入団したの。山守親分*4の子分になれば、何とかなるかなと思って(笑)。マールイって、過去には松田優作さんも所属していたり、本田博太郎さんや柄本明さんもいらしたんですよ。
*3…1940年代後半〜60年代後半に日本の映画会社が新人発掘のために行ったオーディションの通称。「東映ニューフェイス」「東宝ニューフェイス」ほか、大映、日活、松竹など、大手映画会社ごとに開催していた。
*4…『仁義なき戦い』シリーズで金子信雄氏が扮する、山守組組長の山守義雄のこと。
越川:ちなみに、初舞台はどんな作品だったんですか?
諏訪:蜷川幸夫さん演出の『オイディプス王』かな。当時の市川染五郎さん(現・松本白鸚)が主演で、場所は日生劇場だったと思う。でも、やっぱり映画がやりたくてさ。別の養成所に行ったら、そこで内藤剛志と出会っちゃった。「長崎俊一ってやつと自主映画をやっているから、一緒にやろうぜ」って誘われて、初めて出たのが『ユキがロックを棄てた夏』*5(1978)。そこから、『ハッピーストリート裏』と『映子、夜になれ』に続けて出演して。
*5…日大芸術学部映画学科在学中の長崎俊一監督が撮った16ミリ作品。ロックバンドのボーカリスト・ユキはメンバーを裏切ってフォーク歌手でメジャーデビューを目指すが、次第にバンド仲間との争いへ発展していく。70分。
越川:長崎さんたちと同時期に自主映画界で活躍されていた石井聰亙(現・石井岳龍)監督の商業作品、『爆裂都市 BURST CITY』(1982)にも出られていましたよね。
諏訪:そうそう。石井ちゃんとはね、共通の知り合いが監督をしている映画の現場で出会ったの。彼は助監督だったんだけど、話したら家が近所だとわかってさ。よく俺の家に遊びに来るようになって、そこからの縁。
「自分の原点は自主映画にあるし、何をやっていてもあの日々に戻れる」(諏訪太朗さん)
越川:長崎さんと内藤さん、小説家の保坂和志さんや室井滋さんもそうですけど、諏訪さんにとって映画に出始めた頃のメンバーとの作業は、どんな感じだったんですか?
諏訪:当時は自分が出演するほかに、役者探しもやりましたよ。内藤が長崎組のキャスティング・ディレクターだったからさ。まず俺の劇団仲間に声を掛けさせるわけ。保坂は、長崎の高校の同級生だったんだよね。
越川:そうですよね。以前、内藤さんに『森崎書店の日々』(2010)という映画に出ていただいた時に、当時の長崎組の皆でよくジョン・カサヴェテスの映画を観て、「あんな風にできないか、こんな風に映画を作れないか」って話をしていたと伺ったんです。
諏訪:してた、してた。カサヴェテスに限らず、何か映画を観ては皆で一晩酒飲みながら語っていたよ。『闇打つ心臓』*6(1982)とか『シナリオ・山口百恵の背信』*7(1985)は、そういう話の流れを汲んでできた映画じゃないかな。
*6…幼子を殺して逃げる若い男女が、転がり込んだアパートの一室で繰り広げる息詰まる人間ドラマ。8ミリ、75分。80年代の自主映画の金字塔と称される傑作であり、2006年には長崎監督自身が35ミリ版の『闇打つ心臓 Heart beating in the dark』としてリメイクした。
*7…商業デビュー作の『九月の冗談クラブバンド』撮影中に大事故に遭った長崎監督が、病床で「劇映画とは何か」というテーマで悩み抜き制作した実験的ドキュメンタリー。撮影は山崎幹夫氏。8ミリ、35分。
越川:なるほど。両作とも若い頃に観ましたけど、『シナリオ・山口百恵の背信』のほうは疑似ドキュメンタリーというのかな。長崎さんのビデオ作品ですよね。
諏訪:そうそう。俺の恋人が浮気しているところをドキュメンタリーとして撮ろうとする話。内藤だけが「何でそんなバカみたいなことするんだよ、ワイドショーじゃねぇんだから!」って反対するんだけど、長崎がそれを押し切って俺を彼女の浮気現場に連れて行くの。その場面を屋上から押さえようとカメラをのぞくと、なんと浮気相手が内藤だったっていう(笑)。そういうフェイク・ドキュメンタリーだね。
越川:諏訪さんが商業映画のほうに行かれたのはどの作品あたりですか?
諏訪:えーと、ATGの『九月の冗談クラブバンド』(1982)があって……。
越川:あの作品は撮影中の事故で、1年間ほど中断しましたよね。
諏訪:うん、中断した。長崎組で言えばATG作品だけど、黒沢(清)さんだと『危ない話/奴らは今夜もやってきた』(1989)、『地獄の警備員』(1992)あたりかなぁ。
越川:長崎さんの『ロックよ、静かに流れよ』(1988)じゃないですか? 男闘呼組主演のすごく良い映画でしたけど。
諏訪:そうだ、それだ! あの当時は、自主映画でも商業映画でも、必ず内藤と俺を使うっていう長崎組のポリシーがあったんだよね。それで二人とも先生役で使ってもらったの。
越川:諏訪さんの映画出演本数ってすごいですよね。以前、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で諏訪さんの特集上映*8も組まれましたよね。
*8…「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2006」で<WANTED!諏訪太朗スペシャル>と銘打たれて開催された特集企画。当時で出演映像作品が200本を越えていた俳優・諏訪太朗の魅力を堪能するべく、自主制作時代の旧作から新作まで多数上映された。
諏訪:そうそう(笑)。自分でもどのくらい出ているのかわからない。映画作品だけでも200本は越えていると思うけど。
越川:すごいですよね。自主映画から、商業映画やVシネマなんかのビデオ作品やテレビドラマに行くっていうのは、諏訪さんにとって勝手が違う世界という感じでしたか?
諏訪:まぁ、最初はね。慣れていないし、芝居も下手だったからNGも出すじゃない。それで、俺ってダメなのかなと思うこともあったけど、慣れてしまえば基本的にはあまり変わらないと思ったんですよ。もっと言うと、テレビは少しわかりやすいヴォリュームで演じて、映画とかは自分のフラットなヴォリュームで演じるっていう切り替えだけで。自分の芝居自体は、当時と比べれば良くも悪くも上手くはなっていると思うけどね。
越川:良くも悪くもというと?
諏訪:芝居が上手いことが、役者にとって必ずしも良いとは限らないから。(技巧的に)上手いからこそ、心が無くなる場合もあるし。そのバランスの取り方が大事だと思う。だから、『二十六夜待ち』で演じたみたいな“間”は、テレビなら空けないんですよ。テレビの場合は“わかりやすく速く説明的に”演じるし、脚本自体がそうだからさ。でも、映画の場合はお客さんに委ねればいいから、行間がわかりにくくてもいいわけ。越川さんも撮影中に「諏訪さん、もう少しゆっくり」って何度かおっしゃっていたじゃない。だから、この映画が「キネ旬」で俺の代表作*9って書いてもらえたっていうのは、まさに越川さんの演出があってこそなんだよ。
*9…映画雑誌「キネマ旬報」(キネマ旬報社)2018年1月上旬号P.85「REVIEW 日本映画&外国映画」の上島春彦氏による『二十六夜待ち』評を参照。
越川:いやいや、そんな。
諏訪:ほんと、ほんと。まあ、テレビにはテレビの良さがあるし、映画には映画の良さがあるよね。
越川:どっちが良いということではなくて、テレビはお茶の間で何かをしながら観たり、途中でトイレに立ったりしても、ある程度わかるように伝えていかないといけないですからね。
諏訪:映画の場合は、観客側が作品をチョイスして観るわけだし、単館作品なんかは特にそう。自分の原点はやっぱりそこにあるし、何をやっていてもあの自主映画の日々に戻れる。だから、テレビでも映画でも、ちょっとしたスイッチですぐに切り替えられる。今はどちらをやっても戸惑わなくなったね。
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▼『二十六夜待ち』作品・公開情報
(2017年/日本/124分/R-18+)
監督・脚本:越川道夫
原作:佐伯一麦「二十六夜待ち」(扶桑社刊『光の闇』所収)
撮影:山崎裕
音楽:澁谷浩次
出演:井浦新、黒川芽以、天衣織女、鈴木晋介、杉山ひこひこ、内田周作、嶺豪一、信太昌之、玄覺悠子、足立智充、岡部尚、潟山セイキ、新名基浩、岩﨑愛、吉岡睦雄、礒部泰宏、井村空美、宮本なつ/山田真歩、鈴木慶一/諏訪太朗
配給:スローラーナー、フルモテルモ
©2017 佐伯一麦/ 『二十六夜待ち』製作委員会
※2017年12月23日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開
取材・編集・文・イベント撮影:min
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