『トルソ』 山崎裕監督 インタビュー

  • 2010年07月17日更新

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キャメラマン・山崎裕さんの初監督作品『トルソ』が、2010年7月10日(土)よりユーロスペース(東京)でのレイトショーを皮切りに、全国順次公開です。

撮影時は68歳、今年70歳の男性の山崎監督が、「30歳代の独身女性の、リアリティあふれる生態と揺れ動く心」を生々しく描きだした『トルソ』は、ある程度の年齢を重ねた女性なら、まるで自分自身が描かれているかのように、シンクロする部分の多い作品。また、男性には、「女性の生態と本心」を知っていただくために、ぜひご覧になっていただきたい1本です。

完成から公開まで、約2年がかかったこの作品の劇場公開を記念して、山崎監督にたっぷりとお話を伺ってまいりました! 山崎監督が『トルソ』の着想を得たのは、なんと約35年前、デンマークのコペンハーゲンでのことだったそうで……。

さあ、独占ロング・インタビューの続きを、じっくりとご堪能ください!

― 『トルソ』の着想と、映画化までの経緯について、聴かせてください。

「なんらかの形で傷ついて、男性や社会から孤立した女性の深層心理を、トルソを通じて表現できるのではないか、と思ったのです」

山崎裕監督(以下、山崎) 『トルソ』の着想を得たのは約35年前です。
1970年代に、テレビのドキュメンタリーの仕事でよく海外へ行ったのですが、その頃、デンマークのコペンハーゲンにあるポルノ・ショップで、男性器のついたトルソ型のグッズが売られているのを見ました。実際の男性の上半身とほぼ等身大で、女性やゲイの男性のための商品です。
1960年代末から1970年代は、男女平等のウーマン・リブや、性解放のフリー・セックスといった動きが盛んだった時代です。いわゆるハードコアの『ディープ・スロート』*1が上映されたのもあの頃です。
世間がそういった風潮になっている中、コペンハーゲンに限らず、ロンドンのソーホーや、ニューヨークのタイムズスクウェアなどで、それまでは裏路地でひっそりと営業していたようなポルノ・ショップが、にぎやかな場所で堂々と開店するようになりました。
あの時代に、そういった店でトルソ型の女性向けグッズが売られているのを見たのをきっかけに、「女性の抑圧された潜在的な意識のシンボルを、トルソを通じて見せることができるのではないか」と考えたんです。
昔から、男性の中には、性的な対象として女性を一方的に見ている人も多く、女性との経験を周囲に対して声高に自慢する人間もいるものです。しかし、女性にしてみれば、男性との行為において、満足していなかったり、演技でごまかしたりしている部分もあると思うんですね。男性が女性の脚のあいだに無作法に膝小僧を割りこませるような行為や、すね毛だらけの足といった、そんな要素はいらない、と思っている女性もいるのではないか、と。
女性にとって余計と思われるそういったものを排除して考えていくと、「自分が抱かれるのではなく、自ら相手を抱きしめて、男性に対して性的な感情と欲求を表現したいという本音」を、女性も持っているのではないか、と思いました。
近頃は「草食系男子」などという言葉がありますが、いわゆるたくましい男ではない、抱きしめたら折れてしまいそうな男性に魅力を感じる、という女性は昔からいます。それは、男性がイニシアティブをとっていた一方的な性行為を、ある意味、女性が拒絶しリードしたいということで、そのモチーフとしてトルソを使うことができるのではないか、と考えました。なんらかの形で傷ついて、男性や社会から孤立した女性の深層心理を、トルソを通じて表現できるのではないか、と思ったのです。

*1:『ディープ・スロート』は、1972年にアメリカで公開された、ジェラルド・ダミアーノ監督のポルノ映画。1970年代のポップ・カルチャーに多大な影響を与えた。

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― では、着想から映画化まで、約35年の年月があったということですね。

「現代の日本社会に生きる30歳代の女性と20歳代の女性の、世代の違い、葛藤、仕事や男性に対して解放されているように見えながら、心のどこかにある不信感。そういった『潜在的な傷』を抱えた女性がトルソに逃げる、という設定にして、今回のストーリーが生まれました」

山崎 最初は、ロンドンで短編映画として作れたらいいな、と思っていたんですよ。1970年代後半から1980年代は、ロンドンに住んでフリー・キャメラマンとして仕事をしていて、その合間に、ロンドンの映像作家たちと自主制作映画を作ることもありました。なので、そういった機会に、モンティ・パイソン*2のようなコメディ・タッチの短編映画を、トルソをモチーフに撮りたいと考えていたんですけど、仕事に追われて実現しませんでした。
ですから、当初はイギリスで、その国の女性を題材に撮るつもりで考えていました。たとえば、銀行の窓口や会計事務所にスーツを着て勤務している眼鏡をかけた女性……、いわゆる「お堅い雰囲気の女性」が、実は裸になるとセクシーで、そこにイギリスの社会を風刺するような階級意識や女性同士の嫉妬などを織り交ぜてブラック・コメディを撮りたいな、と。
そういう構想だったんですが、その後、帰国して東京で仕事をするようになったら、このモチーフで映画を撮りたいと思いつつも、「チャンスがあれば」と思っているうちに、時間が経ってしまいました。いわゆるピンク映画なら、実現しやすかったのかもしれませんが、そういう方向では考えていなかったんです。
そうこうして、2000年に『TAMPEN 短篇』*3で、渡辺真起子さんとご一緒しました。そして、2008年にタナダユキ監督の『俺たちに明日はないッス』で安藤サクラさんと仕事をしました。『俺たちに明日はないッス』はとても低予算で撮った作品で、そのとき、フィルムでも低予算で映画を作るノウハウがなんとなくわかったので、「では、自分で『トルソ』を作ってみよう」と思いました。
当初の(イギリスが舞台のブラック・コメディ的な)構想とは違って、現代の日本社会に生きる30歳代の女性と20歳代の女性の、世代の違い、葛藤、そして、仕事や男性に対して解放されているように見えながら、心のどこかにある不信感。そういった「潜在的な傷」を抱えた女性がトルソに逃げる、という設定にして、今回のストーリーが生まれました。

*2:モンティ・パイソンは、イギリスのコメディ・ユニット。1969年からBBCで放送された冠番組で人気を博した。

*3:『TAMPEN 短篇』(2000年)は、「もしも映画に監督がいなかったら…?」というコンセプトで製作された短編映画集。キャメラマンの山崎裕さん、猪本雅三さん、田村正毅(現:たむらまさき)さん、照明の佐藤譲さんが参加している。

― 渡辺さん演じる主人公のヒロコが、事務員として勤務している会社がアパレル関係というのは、トルソを連想しやすいから、ということでしょうか?

山崎 それもあります。また、映画の中でははっきり描いていませんが、ヒロコはファッション・デザイナーを目指していたけれど挫折した、という設定にしたいと考えました。「自分の夢を果たせないまま35歳になって、あきらめている」という部分を持っているキャラクターにしたかったんです。でも、アパレル会社に勤めているということで、自分がいだいていた夢と近い部分で暮らしている。そういう曖昧な女性にしたかったんです。

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― ヒロコの描写には、30歳代の女性の日常生活が、リアリティたっぷりに描かれていますね。たとえば、お酒を片手に料理をしながら、飲んでいたそのお酒をなにげなくお鍋に加えるとか、カリフラワーをぬか漬けにするとか、下着をつけてからストッキングを履いてみたら伝線していてヒステリーを起こすとか、女性ならではの生々しいこういった描写は、共同脚本の佐藤有記さんの発想ですか?

「女性を観察してきてわかったディテールをありのままに描いた映画です」

山崎 佐藤さんに主に書いていただいたのは、安藤サクラさんが演じたミナの設定や描写です。今、例に挙がったヒロコのディテールは、ほとんど僕が書いた部分ですね。
ヒロコの細かい行動は、僕が40年、50年と女性を観察してきた成果で(笑)、「ひとり暮らしの女性は、こういう行動をしそうだな」と、ドキュメンタリーのようなつもりで描きました。
僕自身も料理をしますので、飲んでいたワインを鍋にすっと注ぐことはありますし、育てているハーブを料理の最中に慌ててとりにいくなど、そういったことは、年齢や性別を問わず、わりと日常的にあるのではないかと思います。
また、慌ててストッキングを履いたら伝線していて女性がヒステリーを起こしているのは、よくあることですよね。ストッキングの履きかたについても、ディテールは僕の観察の結果です。実は、渡辺さんやスタイリストのかたは、「スカートを履いてからストッキングを履いたほうが綺麗だ」とおっしゃったんですけど、僕は綺麗に見せたかったわけではないんです。女性がひとりのときや、長年連れ添った男性の前で、わざわざスカートを履いてからストッキングを履きませんよね。僕が見てきたわずかながらの経験の中では(笑)、そういう女性は多分、いませんでした。
女性をセクシーに美しく、セックス・シンボル的に描くということは敢えてしないで、女性を観察してきてわかったディテールをありのままに描いた映画です。女性の裸も、裸以上でなければ以下でもない、そういう見せかたをしました。たとえば、ヨーロッパの女性監督が女性を撮る場合、セクシーな面を強調しないで、もっと生の肉体として、ヘアも自然に見せるといった撮りかたをしますよね。そういう感覚に近い作りかたをしました。

― 渡辺さんをヒロコに、安藤さんをミナにキャスティングした経緯を聴かせてください。

「渡辺さんと安藤さんと僕の三人でお寿司屋さんに行ったとき、おふたりに出演をお願いして、よいお返事をいただきました。これは、『めぐりあわせ』だと思っています」

山崎 ヒロコは渡辺さんで、という考えは、最初からありました。『TAMPEN 短篇』を一緒にやったので、僕がキャメラを持って演出して撮影するという経験を彼女はしていますし、セッション芝居の経験がある女優さんなので、こちらから出演を打診しました。
安藤さんは、『俺たちに明日はないッス』で印象的なよい芝居をしていたので、「ミナには安藤さんがいいな」と漠然と考えていましたが、(『トルソ』への出演に関する)具体的な話をする前に、たまたま安藤さんとお寿司を食べにいく約束をしていたんですよ。「最近、お父さん*4が、お寿司を食べに連れていってくれない」と安藤さんが(冗談で)言っていたから、「じゃあ、僕が連れていってあげるよ」という話になって(笑)。
ちょうど、その頃、渡辺さんとも、「『トルソ』について話したいから、一度、食事でもしようか」と話していたんです。そうしたら、渡辺さんから「私もお寿司が食べたいです」とメールが届いたんですよ。「なんだ、これは」と思ったら(笑)、ちょうど、あのふたりは『愛のむきだし』で共演している最中で、そのロケ現場で、安藤さんが渡辺さんに、僕とお寿司を食べに行く予定だ、と話したようなんですね。
このとき、「これは天のお告げかな」と思ったんです。そうして、三人でお寿司屋さんに行ったとき、渡辺さんと安藤さんに、『トルソ』への出演をお願いして、よいお返事をいただきました。これは、「めぐりあわせ」だと思っています。

*4:安藤サクラさんのお父さまは、俳優で映画監督の奥田瑛二さん。

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― ヒロコ役について、渡辺さんと、どのようなお話をしましたか?

「ヒロコにとってトルソは、『いつもさりげなく自分のそばにいる、恋人ではないけれど、便利で都合のよい男』のような存在です」

山崎 最初に脚本を読んだとき、渡辺さんは、「ヒロコはなぜ、トルソを好きになるのか。トルソと、どのように向きあえばよいのか」というような話をしていましたね。また、ヒロコというキャラクターを、「共感を持たれる愛すべき女として演じたほうがよいのか。あるいは、そういうことを考える必要はないのか」ということも言っていました。脚本を読んだ時点では、ヒロコがトルソと生活していることに対する実感を持つことが難しかったのだと思います。
ヒロコを演じていただくにあたって、渡辺さんに特に指示は出しませんでしたが、ヒロコのバック・グラウンドについては、(映画で強く描いていない部分も含めて)すべて説明しました。
たとえば、ヒロコは幼い頃にセクシュアル・ハラスメントを受けていること。高校時代のボーイフレンドとも、社会人になってからの恋人とも、あまりよい関係を築けていなかったこと。そういった経験から、彼女は男性に不信感をいだいています。
また、仕事に対しても、自分に殻を作っている部分があります。ファッション・デザイナーになりたくて、故郷を出て東京の服飾の専門学校を卒業し、アパレル会社に就職はしたけれど、やっているのは事務の仕事。自信を失っていて、自分に囲いを作って、守りながら生きている女性です。外の世界と上手な関係が作れていない、孤立した人間です。
そういう女性が、自分ひとりの生活だけを頼りにしていて、そこでは少しだけ解放される。それがヒロコのベースにあります。ヒロコは決して、猟奇的なフェティシズムや、性的欲求を満足させるために、トルソと向きあっているわけではありません。彼女にとってトルソは、「いつもさりげなく自分のそばにいる、恋人ではないけれど、便利で都合のよい男」のような存在です。なんの要求もしてこないし、ちょっとセックスしたければしてくれて、しつこくつきまとうこともない。
こういったことを理解した上で、「あとは、あなたが考えなさい」と渡辺さんに言いました(笑)。

― ヒロコの元恋人で、ミナの現在の恋人でもあるジロウという男性がいます。彼は「俳優が演じる人物」としては登場しませんが、その理由は?

「この映画は、ヒロコとトルソ、そして、ヒロコとミナの姉妹、そのふたつの関係に絞って描きたい、という気持ちがありました」

山崎 ジロウの側からも、ヒロコに対して言い分があると思うんですよ(笑)。ヒロコを捨ててミナに乗り換えた男ですが、見解の違いはあるでしょうから、ジロウを一方的に責めることはできません。彼に非が多分にあったとしても、ほかの女性を好きになったからといって、人間として存在を否定することはできませんよね。そこには、ジロウなりの理由があると思うんです。
ジロウを登場させたら、その理由をしっかりと描かなくてはなりません。それをやると、三角関係の恋愛物語という、別のストーリーになってしまうんです。この映画は、ヒロコとトルソ、そして、ヒロコとミナの姉妹、そのふたつの関係に絞って描きたい、という気持ちがありました。
あと、僕は自分で脚本を書いているときに、男性の心境や台詞が書けないんですよ。男性とおつきあいをしたことがないから(笑)。自分以外の男性が、女性になにを言っているのか、どんな嘘を女性についているのか、実際に聴いたことがあまりないので、わからないんです。自分が女性にどういう嘘をつくかは知っていますが(笑)。
逆に、女性がどういう弁解をするのか、どのように怒るのか、そういうことは、自分が男なので、多少は知っています(笑)。僕は女性しか観察したことがないので、女性しか撮れないのだな、とわかりました(笑)。

― ARATAさんの演じた「バーの男」というキャラクターは、ヒロコにとって、どのような意味があるのでしょうか?

「シングル・ウーマンとしての隙も、ヒロコにはある、ということです」

山崎 ヒロコが人間の男性そのものを拒否しているわけではない、という部分を描きたかったんです。「バーの男」は、一見、ハンサムで、言葉遣いが綺麗で、攻撃的ではないタイプの男性です。いざとなったら、普通の男と変わらないんですけどね。
ヒロコがちょっとした隙を見せたときに、いわゆる「見てくれのよい、好感度の高い男性」がはいってきたとしても、彼女はまったく拒絶するわけではないんです。シングル・ウーマンとしての隙も、ヒロコにはある、ということです。
『トルソ』の脚本は、もともと中編くらいの長さだったのですが、今回、長編にするにあたって、「バーの男」が登場するシーンや、蒼井そらさんが演じた「女性の体を『商品』にして生きているモデルの結衣」のシーンを足しました。
でも、ジロウを足そうとは思いませんでした。ジロウの立場を変に悪役にはしたくありませんでしたし、だめな男として描けばよいのでしょうが、そこを丁寧に描いてしまうと、先ほども言ったように、物語のポイントが三角関係になってしまいますので。

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― 全体的に静かで、女性にとっては切ない部分も多い物語ですが、ヒロコがトルソを連れて海水浴に行くシーンは、とてもほほえましいですね。

「あのシーンでのトルソは、性的な存在ではなく、友達やパートナーのイメージです」

山崎 (イギリスで撮ろうと考えていた)初期の構想からあったアイディアです。先ほどお話ししたモンティ・パイソンのギャグに、海岸でのネタがいくつかあるんですよ。それが参考になっている部分はあります。
パラソルとデッキ・チェア、バスケットをビーチへ持っていって、トルソと一緒に海水浴をするというのは、ヒロコが一番、自由で解放される時間です。あのシーンでのトルソは、性的な存在ではなく、友達やパートナーのイメージです。ヒロコが楽に、無邪気になって、解放されるわけです。
トルソを浮き輪代わりにして、一緒に泳いでもらったらおもしろいだろうな、というイメージは、ずっと持っていたので、このシーンは絶対に作ろうと思っていました。制作スタッフが、東京湾で誰もいない浜辺を見つけてきてくれたんです。三浦半島で撮影したんですよ。

― これからも、監督として映画を撮りたいですか?

山崎 わからないですね。僕はキャメラマンですから、キャメラの仕事はこれからもありますので。
企画としての発想はいくつか持っていますが、たとえば、資金や時間が調整できるか、自分で脚本を書くのか、ほかの人に書いていただくのか、自分が監督をやるのかどうか、そういったことは、めぐりあわせだと思っています。
その持っている発想の大概は、女性が主人公です(笑)。

― 「撮影」ということについて、聴かせてください。

「映像そのものの世界ではなくて、スクリーンのもっと奥にある世界を観る人に想像させるんです」

山崎 キャメラマンの仕事は、完成された映像でなにかを伝えようとする、ということです。映している対象そのものの中から、なにかを発見していく、見せていく、という作業です。
映画の中で生きている人間の魅力や悩みを、具体的な映像で観る人に伝えることが大切です。映像そのものの世界ではなくて、スクリーンのもっと奥にある世界を観る人に想像させるんです。
キャメラというのは、対象が映っているだけなんです。対象をコピーしているだけの、それ以上でも以下でもないというものの中で、では、なにが伝わっているのか。
たとえば、黄色や赤のフィルターをかけたり、空を暗くしたり、そういった作業をすると、いろいろな見せかたができますが、僕はあまり、そういう足し引きをしたくないんです。今回の『トルソ』では、そのような映像的な作業をなにもしていません。
キャメラが映すのは、「見えるままのこと」です。その見えていることの中で、観る人がなにを想像するか。そこに見えている具体的なちょっとした行為や事物に、気がつく人もいれば、気がつかない人もいる、そういう作りかたをしています。

― 最後に、『トルソ』をご覧になるのを楽しみにしているみなさまへ、メッセージをお願いします。

山崎 DVDよりもスクリーンで観たほうが、今回の映画でこだわったディテールが見えてくると思いますし、見やすいとも思います。なので、ぜひ映画館に足を運んで観ていただけたら嬉しいです。
女性にも男性にも観ていただきたい、と思っています。男性は、自らの胸に手をあてて、自分が男性としてなにをしたか、考えて感じながら、ご覧ください(笑)。

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▼山崎 裕(やまざき ゆたか)監督
プロフィール

1940年生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、フリーの撮影助手を経て、1965年、『肉筆浮世絵の発見』でフィルム・キャメラマンとしてデビュー。以後、テレビ・ドキュメンタリー、CM、記録映画等で活躍。1981年に、ドキュメンタリー・ジャパンに役員として参加。撮影だけでなく、プロデューサーやディレクターとしても映像制作に携わる。1999年、是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』で、劇場用映画の撮影を初めて手がける。以後、『誰も知らない』(2004年)、『ハリヨの夏』(2006年)、『花よりもなほ』(2006年)、『たおみのしあわせ』(2007年)、『歩いても 歩いても』(2007年)、『恋するマドリ』(2007年)、『俺たちに明日はないッス』(2008年)等、劇場用映画の撮影を多数、手がけている。また、2000年には、キャメラマンの田村正毅(現:たむらまさき)、猪本雅三、照明の佐藤譲とのコラボレーションによる、「監督のいない映画作り」の『TAMPEN 短篇』に参加。『トルソ』(2009年)は初の監督作となる。

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▼『トルソ』作品・公開情報
日本/2009年/104分
監督・撮影・脚本:山崎 裕
脚本:佐藤有記
出演:渡辺真起子 安藤サクラ
ARATA 蒼井そら
石橋蓮司 山口美也子 他
製作:いちまるよん
トランスフォーマー
配給・宣伝:トランスフォーマー
コピーライト:(C)2009 “Torso” Film Partners
『トルソ』公式サイト
※2010年7月10日(土)より、ユーロスペース(東京)にてレイトショー。8月14日(土)から名古屋シネマテーク(愛知)、9月4日(土)からシネ・リーブル梅田(大阪)、10月16日(土)からみなみ会館(京都)ほか、全国順次公開。

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『トルソ』 作品紹介

取材・編集・文:香ん乃 スチール撮影:みどり 取材・編集:道川昭如

改行

  • 2010年07月17日更新

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