【CINEASTE3.0―デジタル世代の映画作家たち】富田克也監督と三宅唱監督を迎えて行われた上映会&トークイベントをレポート!

  • 2013年03月27日更新

今回、上映作品に選ばれたのは、3人の監督がアジアを舞台に撮り上げたオムニバス映画、『同じ星の下、それぞれの夜』(2013年2月8日よりロードショー)より、富田監督がタイで撮影を行った一編、『チェンライの娘』と、2010年に公開され加瀬亮など映画好きな俳優をうならせた三宅監督の一編、『やくたたず』。両作品とも、非常に男臭くありながら、決して女性を置いてきぼりにしない映画です。不器用で、粗雑で、情けない…けれども素直で憎めない男たちが魅力的な2作品を鑑賞した後、映画評論家の渡邉大輔さんを交えて、富田監督と三宅監督のトークショーが行われました。

今回上映した2作品は、どちらも『車がなくなって歩き回る話』(渡邉さん)

渡邉大輔(以下、渡邉):今回上映された2つの作品を並べて観ると、対象的なところと、共通するところがありますね。富田監督の作品は、いつもの作風らしいぎらっとした色合いで、夏の映画。かたや三宅監督はモノクロで、こちらは冬の映画。けれども両方とも、「車がなくなって歩き回る話」というのが共通点ですね。お互いの作品をご覧になった感想は、いかがですか。

富田克也監督(以下、富田):僕は、『やくたたず』を観たのが時期的に遅かったんですね。『Playback』より後に観たかもしれないです。自分の周りの信頼でできる映画好きたちが、こぞって「凄い」と言っていたので、観る前から確信じみたものはありました。『Playback』を観た時は、とにかく素晴らしくて、自分たちよりずっと若い世代にこんな作り手が登場したのは大きな希望だと思います。

渡邉:(俳優の)村上淳さんが、『Playback』を作るきっかけになった三宅監督の作品は、俳優が惹かれる作品なのかなと思いますが。

三宅唱監督(以下、三宅):「出たい」と言ってくださる方もいらっしゃいますが、どうなんでしょうか。映画の現場って、楽しいといえば楽しいですけれど、その場で演技する快楽を、僕が俳優に与えられるかというとそういうわけでもないので、そこが悩みというか。

富田監督の映画は、愛でカットが濃くなっていく(三宅監督)

渡邉:三宅監督は、富田監督の作品を観てどう思いましたか。

三宅:自分たちで撮りたくて撮った映画である『国道20号』や『サウダーヂ』に対して、今回上映された『チェンライの娘』は、言葉が悪いですけれど、1回休憩するタイプの映画なのかなと思っていました。「いやー、富田さん、タイとか羨ましいっすわ―」くらいの気楽なノリで観られるのかなと思っていたんですよ。でも、いざ観させていただいたら、本当に面白い映画だなと思いまして。草むらのところを歩いて、それから赤い土の道を歩くシーンがものすごく印象的でした。

富田:
自分で観ていて本当にばかだなあと思いました。映画が始まって、ものの数分も経たずに「タイ行ってきな、タイ」というセリフがきて、次のシーンでタイにいるし。そういうことを自嘲気味に考えていたら、それは別に『チェンライの娘』に始まったことではなくて、『サウダーヂ』でも冒頭の食堂のシーンでいきなり、「俺、タイ行ってたんすよ」と言い始めるし、『国道20号線』でもタイ、タイ、考えてみたらずっとタイのことばかり言っているなと思いました(笑)。

渡邉:
富田監督の映画は、仏教的というか、ちょっとお坊さんの感じがするというふうに思っていて。今回の作品で、ついにタイに行かれていたので、テイストがずっと共通しているなと思って観ていました。それから、例えば主人公(川瀬陽太)と女の子たちがごはんを食べているところなど、長まわしで撮っているのに全然飽きないですよね。富田監督の作品は、ぐいぐい引き込まれてしまう画面の力が大きいな、ということをつくづく感じました。

三宅:愛でカットが濃くなっていくのかなという。いい画を撮ること自体が目的で撮ろうと思っているわけでは決してないと思うんです。写っているものや人に対して、非常に愛憎があるのだなと思います。

最初は、自分の周りにいる人間たちが面白いと思うから撮り始めた(富田監督)

渡邉:富田監督の映画作りは、「空族」というインディーズで、製作から配給まで一手に自分たちで行うという独特なスタイルを10年くらい続けてきていますよね。皆で一緒にものを作っていると楽しいけれども、ものを作るために集団があるのか、集団を続けたいからものを作っているのかわからなくなってしまう瞬間があると思います。10年間コミュニティーで映画を作ってきたということは、富田監督の中でどのような経験になったのでしょうか。

富田:振り返ってみると、好きなものを映画のなかに入れているだけなんじゃないかと言いたくなります(笑)。まあでも、そもそも目の前にいる好きな人々を撮りたくて映画をやりはじめたという意味では、それを今まで続けてきちゃったということですかね。バイクも好きだから必ず出てくるし(笑)。でも、好きなことだけやっていると出尽くしていつか終わるけれど、やっぱり映画は1人のものではないので、その都度色々なものに出会って、それがまた好きになっちゃってということなんでしょうね。

映画における面白い瞬間は、画面にぐぐぐぐっと入り込むとき(富田監督)

渡邉:富田監督の『サウダーヂ』も、三宅監督の『Playback』も、素直に故郷に帰れないという同じようなトーンがあると思います。ホームベースが、郊外だとか地方の過疎化とかで殺伐としているけれども、そこで自分たちの居場所みたいなものを作ろうとしている若者の話ですよね。それは、僕たちにとってリアルに感じられることだし、若い観客の共感を呼んでいる部分だと思います。

富田:それらは確かに『サウダーヂ』の描くひとつの題材だとは思いますし、僕らも様々な問題意識はありますけれども、そういう状況的なものに対する共感はあったにせよ、映画の面白さって、結局それがどう面白いかだと思うんです。自分たちにとっては映画を観るも作るも単なる共感の為ではないし。題材やテーマはそれぞれにあるとして、それが映画になった時、スクリーンにぐぐぐっと釘付けになる何かがあるかどうか、ですよね。だから観客はそれを求めてくるんだと思っているし、作り手はそれができるかどうかにかかっていると思ってます。

「休みの日の映画と働いている日の映画は、全然違う」(三宅監督)

三宅:話が変わってもいいですか。休みの日の映画と働いている日の映画は、全然違うと思うんですよ。(休日の)ただ楽しむためだけに映画を観に行くか、(平日の)なにか日常と接続した部分があるなかで映画を観に行くかで、受け取るものが違ってくると思います。観客にとっての映画を観るという行為と、映画のなかの平日と休日というものを、並べて考えてみたいとずっと前から思っていました。俳優を演出するのも映画の仕事ですけれども、映画館という暗闇の中での2時間を、観客の皆さんにどう体験させるかということも映画を作る人間の仕事なので、そればかり考えている時もありますね。


<富田監督、三宅監督単独インタビュー>

トークイベントが終わったあと、お時間をいただいて、富田監督と三宅監督にインタビューを行いました。
― 今回のイベントは、「デジタル世代の映画作家たち」とサブタイトルが付いていますが、富田監督と三宅監督の作品は、8mmや16mmのフィルムを使用されているものも多いですね。

富田:そうですね。『サウダーヂ』以前は8mmや16㎜で撮っていました。編集はデジタルですけれども。
三宅:『Playback』に関しては、一度デジタルで完成させています。自分の映画がフィルムになったのは今回がはじめてです。

― デジタル化が進んで、比較的安く、誰でも映画を作ることができる時代になりました。一方で、上映できる場所が限られていたり、作って終わりということも多いと思います。こうした状況については、どのように思いますか。

富田:自主制作という意味ではやりやすくなったかも知れないけれど、逆に言えばそれは誰からも待たれていないし、望まれてもいないものを作ると言うことですよね。しかし作る側にはいろんな思惑があって、例えば映画監督になりたいとか?でも今、映画監督なんて急いでなってもいいこと何もないでしょう? 職業として成立し難い状況ですし。逆に誰でもなれるといえばなれる。それでも映画を作るわけで。だから現場も内容もプロのまねごとみたいな自主制作映画を観ると、なんでこんなことやってるんだろうって思っちゃいますね。まずは本当に作りたいものがあるかどうかだし、あるんだったら何年かかろうが作ればいいじゃないかと。そういう丁寧なやり方ができるのが僕らの特権だし、今ここに至っては、そういう作品の方が人の記憶に残るんじゃないかな。もちろん時間をかけりゃいいってもんじゃないけど、どこまでそれに賭けれるかってことじゃないかと。で、それが面白ければ劇場だってかけてくれるだろうし、宣伝だって時間をかけて自分たちでできる。口コミなんかは今の方が広がりやすいんだから。

― 今回上映された2作品は、どちらも男臭さや男の魅力を感じさせる映画でしたが、女性が主役の作品も観てみたいと思いました。

富田:実は、次回作はバンコクが舞台で女性が主人公になると思います。

三宅:女性を主役にした作品を撮るイメージは、今は浮かばないですね。ただ、ヒップホップをよく聴くんですが、母親に捧げるラップというのがとても多いんですね。父親に捧ぐ、という曲はほとんどない。だから、男くさい男ばかりが出てくる映画だとしても、どこかで必ず母親の存在感というか、あえてもっと言うと、マザコンな感じは自然とでてくるものだと思います。

― ロカルノ国際映画祭に行かれた際に感じたことを教えてください。以前他のインタビューで、三宅監督が、「作品に対して監督と観客がフェアにリスペクトし合う」と仰っていましたが。

富田:僕らや、俳優の有名無名などといったことが二の次になると思いますので、作品そのものを観てもらえているという印象はありますね。

三宅:現場の空気感でいえば、渋谷の街を歩いている何千何万の人が同じ映画祭に来ていて、映画を観に集まっているという感じなので、貴重な体験だったと思います。

《ミニシア恒例、靴チェック!》

富田監督は、撮影を行ったあとで「どうせなら」とジーンズの裾をブーツの中に入れてもう1度撮影をさせてくださいました!(写真上:三宅監督、下:富田監督)


▼富田克也監督 プロフィール
1972年生まれ、山梨県甲府市出身。2003年に発表した処女作『雲の上』で、「映画美学校映画祭2004」のスカラシップを獲得。これをもとに制作した『国道20号線』を2007年に発表。2011年、『サウダーヂ』がナント三大陸映画祭でグランプリ、毎日映画コンクールで優秀作品賞&監督賞をW受賞。その後フランスにて全国公開された。最新作は、真利子哲也監督、富永敬昌監督らとのオムニバス作品、『同じ星の下、それぞれの夜』。

▼ 三宅唱監督 プロフィール
1984年、札幌生まれ。2009年、『スパイの舌』が第5回シネアスト・オーガニゼーション・大阪 (CO2)エキシビション・オープンコンペ部門にて最優秀賞を受賞。第6回CO2助成作品として、初の長編作品『やくたたず』を製作し、絶賛された。2012年に公開された『Playback』は、第65回ロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門に正式出品され、全国で順次公開中。

CINEASTE3.0公式サイト

※第3回の開催は2013年5月を予定

取材・編集・文:南天 スチール撮影:仲宗根美幸

  • 2013年03月27日更新

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