『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』トークショー —いとうせいこう×川勝正幸が語るバンクシー

  • 2011年08月21日更新


謎のグラフィティ・アーティスト、バンクシー初監督の映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』が公開と同時にSNSを中心に話題となっている。その大ヒットを記念したトークショーが、2011年8月10日(水)に渋谷シネマライズで開催された。ゲストに登場したのは、幅広い活動をするクリエイターのいとうせいこう氏と、自らを「ポップ中毒者」と称するエディターの川勝正幸氏。アート、カルチャー、政治、あらゆることに造詣の深い二人はこの作品をどう観るのか?!


「ミスター・ブレインウォッシュはキャラクターなのか天然なのか」(川勝正幸)
「明らかに、笑いの神が降りています」(いとうせいこう)

左から川勝正幸さん、いとうせいこうさん。本作の配給元であるパルコが所有する、ミスター・ブレインウォッシュの作品『Juxtapose』(2011)。購入価格の8万円は高いのか、安いのか!?

川勝正幸さん(以下、川勝) 映画を観てまず思ったのが、ティエリー・グエッタ、あらためミスター・ブレインウォッシュは、果たしてキャラクターなのか天然なのかということですよね。映画の最初の方でティエリーがシェパード(・フェアリー)を手伝うじゃないですか。ビルの屋上でポスターを貼っているところを引きで撮っているんだけど、途中でティエリーが(フレームに)入って来て、はしごからずっこけるんですよね。そのずっこけのタイミングが上手いんですよ。あとは、ピンク色のペンキをこぼすところね。あれを観て、これはやっぱり天然なのかなと。

いとうせいこうさん(以下、いとう) あんなこと演出じゃできないよ。明らかに、笑いの神が降りていますよね(笑)。

川勝 展覧会の三週間前にはしごからまたずっこけて、ケガをするところはちょっと作りなのかなと思って。一応、レントゲン写真とかこれみよがしに出すけど、あれが本当だったら映画の神が降り過ぎていますよね。

いとう でも、骨を折って大変になっていくっていうところが作為であっても、あのペンキのこぼし方はできないと思うんだよね。わざとなら「ペンキをこぼすよ」ってなったときに、普通は一瞬待ってしまうと思うんだけど、すごい早さでこぼすんだよ(笑)。

川勝 ペンキはポイントですよね。

語れば語るほど、語っている人がバカに見えちゃう」(いとう)
「観終わったあとで、色々想像できるのがこの映画の面白さ」(川勝)

いとう 映画のかなり前半に「あれ?」と思うシーンで、ティエリーがフランスのストリートアーティストであるゼウスを撮影していて、それをまた誰かが撮っているんですよね。これは誰が撮っているんだろうって。
川勝 そういう“ほころび”をわざわざ残して、いとう君とか僕とかみたいに映画についてしゃべったりするような人を引っ掛けているんじゃないかな。

いとう そう。語れば語るほど、語っている人がバカに見えちゃうみたいな。ミスター・ブレインウォッシュの愚かさと変わらなくなってしまう。

川勝 バンクシーに笑われているわけですね、僕もいとう君も。

いとう でも、議論しないで見過ごしていいかっていうと、そんなこともない。うまい罠ですよね。僕のイメージでは、ティエリーってマルセル・デュシャンにとってのレディメイドみたいなものじゃないかと。このひとりの人間を持ってきただけで、どんどんアートができていっちゃって、しかも、「これ、アートじゃないじゃん!」、「いや、アートだ!」っていう論争を延々できるわけですよ。そういうすごい“人間作品”を生み出しちゃったというか。

川勝 ミスター・ブレインウォッシュがマドンナのアルバム『セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベスト』(09)のアートワークをやりましたけど、マドンナが旬のアーティストとして頼んだ説も有りますよね。

いとう ただ、マドンナって悪趣味もあえてやれるというか、わかってやっていると思いたいけれども、時代の流れとしては、だまされていたとしても不思議じゃないですね。

川勝 バンクシー的には、マドンナが使ったらもうすごろくの“あがり”だな、みたいなことから編集が決まったのかもしれない。それこそがバンクシーの手だったというか。とにかく、観終わったあとで、色々想像できるのがこの映画の面白さ。

いとう フィクションとノンフィクションの境目が無いような感じですよね。シニカルなユーモアというか、モンティパイソン的な視点はやっぱりあると思いますね。

「ティエリーの話だといいながら、実はグラフィティ・アートの記録映画」(川勝)

川勝 雑誌『ユリイカ』(11年8月号)のいとう君と大山エンリコイサムさんとの対談で、映画『ワイルド・スタイル』(82)について触れていますが、『ワイルド・スタイル』の魅力の一つって“記録の面白さ”だと思うんです。

いとう そうですね。当時のロック・ステディ・クルーっていうブレイクダンスのチームとかDJのグランドマスター・フラッシュとか、今でこそ大御所たちがどんどん出てくる。

川勝 バンクシーのように練った感じで構成させているわけではないけど、結果的に時代の雰囲気が真空パックされている。その面白さがありますよね。

いとう ヒップホップ・カルチャーが醸成されていった様子が、こと細かく記録に残っていることでも『ワイルド・スタイル』という映画の意味は大きいし、当然、バンクシーはこの映画を意識したと思いますよ。

川勝 もともとグラフィティとか路上でアートしたものって翌日に消されたりしていることがあるので “記録”することを常に意識していたんでしょうね。バンクシーはティエリーの話だといいながら、盟友と思われるアーティストたちの記録映画を作ったんじゃないでしょうか。

いとう あと10年、20年したら作品を描いた壁自体が無くなっていっていしまいますからね。普通だったら、とりあえずフィクションで撮って、あとは記録映像を混ぜて作ろうということになると思うけど、バンクシーはそこでちょっとあり得ないような構造を思いつく。ティエリー・グエッタっていう人をひとり入れることで、観客は「アートの価値って何なんだよ?」と思いながら観るし、「ストリートアートが絶対に良い!」って言えなくなってしまう。心にボムされちゃうわけですね。やはり、バンクシーは天才的な頭脳を持っていると思います。

「バンクシーには、日本の借景に通じる圧倒的な見立てがある」(いとう)

川勝 もうひとつ、いとう君が『ユリイカ』の対談の中で、バンクシーの壁の選び方とそこに何を描くかということが、日本における借景と通じると言っていたけど、それは凄く面白い見方だと思いました。

いとう 景色を借りることで、最小限のものを描いても大きな世界観を得るわけですね。たとえば、お茶室でいつも花を生けるところにイガ栗を一つ差すことで、お茶室の向こうに見える山の紅葉の延長になるように、途方もない季節感を一本の枝で表そうとする。どこまでが自分の作品でどこまでが借り物かがわからない。その見立てが日本的な面白さなんだけど、バンクシーには圧倒的にその見立てがある。壁の向こうが海になっているグラフィティを、渋谷の壁に描いても意味が無いわけですよ。パレスチナとイスラエルを隔てる壁に描くからこそ大きな意味になる。しかも、痛快なのは、兵隊に狙われながら命がけでそれをやるところ。

川勝 まずは無事に入国することから、塗料をどう手配するかだとか、どの壁のどの位置に描くかとか、かなり大型のステンシルを使うための準備だとか、実際に用意周到なところは映していないんですよね。そこも、この映画の骨太なところかな。

いとう 「大変なんだ」なんて思ってもらったら無粋だっていう、圧倒的な美学がありますね。

川勝 グラフィティには、いかに危険なところに描くかというアスリート的な部分もありますが、バンクシーの場合は、どこの壁や公共物に何を描くかという、いとう君が言うところの借景のような感覚がありますよね。

いとう 基本的にグラフィティってコンセプチュアルなものでは無かったはずですが、そこにバンクシーが現代美術的なコンセプトを持ってきて、とうとうこの映画では、こんなところにまで至ってしまった。絶えず吟味して、ジャストなところにジャストなものを描くことで、人々の議論を絶えなくしてしまうという、バンクシー特有の面白さ。オツなものですよね。

「壁に対する意味が反転していくところは、見事な展開」(川勝)
「バンクシーは次作がもっとも知りたくなるアーティスト」(いとう)

川勝 この映画はある意味、壁が主人公の映画だとも言えます。前半ではアーティストたちが作品を描くために壁を求め、後半は広大な壁はあるけれど、それを埋めること自体にミスター・ブレインウォッシュが必死になる。壁に対する意味が反転していくところは、見事な展開です。

いとう 普通の人だったらこの映画には『ザ・ウォール』ってタイトルを付けると思うんです。一番分かりやすいし、美術としての壁も象徴できる。それを『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』ってタイトルにするところが、食えないタマだなって。どういう意味なんですか?

川勝 特殊翻訳家の柳下毅一郎さんが言っていましたが、美術館で展示室を出てから出口に行くあいだに、展覧会のグッズやポストカードなどが置いてある売店がありますよね。そこから「お代は見てのお帰り」という訳もあるらしいですよ。バンクシー含め、ストリートアーティストが壁に描いたもの自体は基本的には売れないわけじゃないですか。じゃあ、美術館で作品やTシャツを売ればいいのか、ストリートアートとお金という矛盾とバンクシー自身も葛藤しているわけですね。その回答の一つとしてこの映画を撮って、じゃあ、これから先にどうするのかということだと思うんですよ。

いとう 自ら活動をまとめることで、自分を追いつめていますよね。この先、今までのように壁に描いていることが自分としても許されるのか、映画を観たわれわれも、欲望が膨れ上がって、違う形の仕掛けをつい期待してしまう。それを彼は重々承知したうえでこの映画をリリースしている。近々で言えばイギリスの暴動に関して、必ず何かを描いていると思うんです。彼は何か大きな一つの抽象的なテーマに従って現代美術をやっている人とは違って、常に時代と呼応して描いているから。

川勝 現代美術のアーティストの場合は、むしろ作風を変えないことでアートマーケットにおいて価値が上がっていくことがありますが、バンクシーは色々なスタイルを使って常にみる人をあっと言わせるような作品を展開させていきますね。

いとう バンクシーは常に社会的な問題とともに歩んで、何かを描いていくアーティスト。今回は映画という手法でアートの世相を切ってみせたけど、じゃあ次はどんなメディアで会えるのか。ワクワクもするし不安でもありますね。次作がもっとも知りたくなるアーティストです。

 

▼『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』作品・公開情報
(2010年/アメリカ+イギリス/90分)
原題:”EXIT THROUGH THE GIFT SHOP”
監督:バンクシー
製作:ホリー・カッシング
ジェームズ・ゲイ=リース、Jaimie D’Cruz
出演:ティエリー・グエッタ、スペース・インベーダー、シェパード・フェアリー、バンクシー ほか
ナレーション:リス・エヴァンス
音楽:ジェフ・バーロウ(Portishead) ロニ・サイズ
提供:パルコ
配給:パルコ/アップリンク
特別協賛:SOPH.co.,ltd
c. 2010 Paranoid Pictures Film Company All Rights Reserved.
『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』公式サイト

※2011年8月20日(土)より渋谷アップリンク、下北沢トリウッド、立川シネマシティにて拡大公開!

取材・編集・文:min スチール撮影:五嶋洋

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