『ホーリー・モーターズ』レオス・カラックス監督トークショーレポート-ドニ・ラヴァンは特殊な体をつくりだしていきました。それは素晴らしい体で、いつも私はそれを撮影したいと思います。

  • 2013年05月06日更新

『ポーラX』から13年ぶり、レオス・カラックス監督の新作となる『ホーリー・モーターズ』はドニ・ラヴァン演じる、オスカーの『行為の美しさ』をたどるSFでありファンタジーな物語。今回は、カラックス監督の来日中に行われたトークショーをレポートします。30年来、共に作品を作り続けている俳優ドニ・ラヴァンさんとの関係、カラックス監督自身の出演の経緯など監督がこの作品を作るに至る聖なる原動力(ホーリー・モーターズ)についてたっぷりと語っていただきました。


私は「今日(こんにち)、生きていることとは何なのか?」という問いかけをこの映画で行いたかった。

-カラックス監督から一言お願いします
レオス・カラックス監督(以下、カラックス):こんにちは。何を言っていいのかよくわかりませんが、この『ホーリー・モーターズ』は、以前の私の作品に比べて、ずいぶん外国に行って紹介をしてきました。ですから以前の作品以上に、この映画については多くを語ってきました。もう言うことがないような気がしますけれども、今日はなんとか話をしようと思います。

-『ホーリー・モーターズ』という映画が、監督のこれまでの作品と同様か今まで以上に「映画についての映画である」と同時に「演ずること、演技に関する映画」に焦点を当てた映画です。
カラックス:この映画は実は短い時間で考えられ、つくられています。他の国で、他の映画をつくろうとしていましたが制作できず、何とか映画を1本撮影しなければいけないと思ってつくった映画です。私は主人公がSFの世界にいると構想しました。この主人公はただ俳優というのではなくSFの世界に生きている人物です。主人公が朝起きてから夜に至ることで「今日(こんにち)、生きていることとは何なのか?」を問いかけたかったのです。主人公は屠殺者でもいいし、肉屋であってもいいのですが、そうすると、なぜ彼がそれをしているのかを説明をするために、フラッシュバックを使わなくてはいけなくなってしまいます。今回のような(SFの世界に生きる)宿命をとることによって、さまざまな年齢、さまざまな人間の経験を1日7回、表すことができました。


初めの作品で、彼(ドニ・ラヴァン)のことをまるで彫像のように撮影していることに気がつきました。よく彼のことをみていなかった。そこで2本目を撮ったときにドニ・ラヴァンを動かし、ドニ・ラヴァンを踊らせました。今回も、(動かし、踊らせる演出)それ以上のことをドニ・ラヴァンとは話していません。
-本作でドニ・ラヴァンさんはいくつもの役、いくつもの人間になっていきます。ドニ・ラヴァンさんは、カラックス監督の一番最初からの盟友と言いますか、分身と言っても過言ではない俳優さんですが、今回の映画にあたって、ドニ・ラヴァンさんにどんなことを話されましたか?
カラックス:先ほど早く撮影をしたい、何かを撮影をしなければいけないと思ったと申し上げました。もう十何年、長編を撮っていませんでしたから、早く何か撮影をしないと気が狂ってしまうと思いました。ドニ・ラヴァンを撮影するというのは、ずいぶん早くから決めていました。ドニ・ラヴァンは私が一番よく知っている俳優だからです。よく知っていると言っても、実生活のドニ・ラヴァンを全く知りません。一緒に食事をしたことも一回もありませんし、友人ではありません。ドニ・ラヴァンは今、私の家から200メートルの近所に住んでいますが、普段は会うこともありません。ドニ・ラヴァンは私と同じ年齢で背丈も同じくらいです。出会ったときは、お互い20歳か21歳のころだったでしょうか。それ以来、本当に彼と話したことは一度もありません。初めの作品が出来上がったとき、私は彼のことをまるで彫像のように撮影していることに気がつきました。よく彼のことをみていなかったのではないかと思いました。そこで、2本目を撮ったときにドニ・ラヴァンを動かし、ドニ・ラヴァンを踊らせました。今回の作品でも、(動かし、踊らせる演出)それ以上のことをドニ・ラヴァンと話してはいません。それぞれの人物がどのような話し方をし、どのように動くか、ということだけを考えました。それ以上のことは言っていません。


最初に出てくる登場人物を実際に飼っている犬と一緒に演じました。
-冒頭のシーンだけ監督自身が演じていらっしゃいますが、なぜ最初はご自分で演じようと思ったのでしょうか
カラックス:はっきりと思い出せませんが、この映画について、私の頭の中にあった最初の映像は、今、私が(本作品で)観ているような映像-闇の中で観客たちがいて、その人たちを正面から見ると言った映像です。そこで眠っていた人が目覚めて、その観客を発見するというシーンを思いつきました。シナリオを書かなければなりませんでしたので、仮にその役を「レオス・カラックス」と書きました。後になってまた検討すればいいと思って、仮の名をつけたのです。この映画をつくる際、ミシェル・ピコリが演じている人物を、自分が演じてもいいのではないかと考えもしました。けれども、それでは(私が演じてしまっては)ミシェル・ピコリが演じている人物が誰だかわからなくなってしまうと思ったのです。あの人物は明らかに映画作家ではありません。プロデューサーなのか、マフィアなのか、それとも内務省の人間で、監視カメラの責任者なのかもしれません。そこでミシェル・ピコリが演じていた人物ではなく、最初に出てくる登場人物を自分が実際に飼っている犬と一緒に演じました。© Pierre Grise Productions


ドニ・ラヴァンは特殊な体をつくりだしていきました。それは素晴らしい体で、いつも私はそれを撮影したいと思います。
-ドニ・ラヴァンさんは、一年前に舞台出演のため来日されたのですが、生で見るドニ・ラバンさんは小柄なのに演技を始めると、すごいオーラを発していました。
カラックス:ドニ・ラヴァンと出会ったのは20歳のときで、20歳から50歳まで彼のことを撮影してきました。彼は20歳のときよりもはるかに偉大な俳優になっています。彼は特殊な体をつくりだしていきました。それは素晴らしい体で、いつも私はそれを撮影したいと思います。『ホーリー・モーターズ』は人間の身体とも関係があります。映画作家は、画家と同じように人間の身体や顔をみることを好みます。風景や建物やビル、人間が作り出したもの、たばこやピストルや、その他のいろんなものをみるのが好きですが、何より人間の身体をみるのが好きです。走っている人間の体、泣いている体、セックスをしている体などです。そこで、冒頭の部分に19世紀の「映画の祖先」ともいえる(エティエンヌ=ジュール・マレーの)連続写真を出したのです。男と子供がいて、2人が走っていき、ボールを投げて、そして地面に近い何かを壊すのです。これこそ(人間の身体)が『ホーリー・モーターズ』、映画の神聖な原動力です。


この映画には二つの感情が基盤にありました。いつも自分でしかありえない「自分であることの疲労」と自分自身を新たに作り出したい「再び生きる必要」の二つです。
-普通の人生を生きる人間、一般の人々の「演じる」という問題を扱っている作品だと感じました。パーティーで男の子とうまく付きあえない女の子の父親(ドニ・ラヴァンが演じている)が娘に向かって「お前がお前として生きるという罰を受けなければならない」というセリフがあったんですけれども、そのセリフが響きます。
カラックス:この映画に関しては、二つの感情が基盤にありました。互いに相反する感情と言ってもいいのですが、一つは「自分であることの疲労」という感情です。すなわち「人生」。自分自身を抜け出すことができない、いつも自分でしかありえないことからくる疲労です。自分でありつづけるために狂ってしまうような疲労感があります。もう一つの感情は、これは必然で、夢でもあるのですが、自分自身を新たに作り出す必要、自分自身を新たに作り出したいという気持ちです。この映画の中で『Revivre』-「再び生きる」という歌が挿入されています。こうやって「再び生きる必要」が二つ目の感情なのです。しかし、自分を新しく作り出すことは、なかなかできません。かなりの力と幸運がないと「再び生きる」ことはできません。俳優の方たちは共感するでしょうけれど、私は俳優には興味がありません。私が関心を持っているのは我々自身です。


-自分を変えることはとても難しいのですが、例えば、映画や演劇、何かをつくる人間である場合に作家性といわれるものを、変えることは可能かと思うのですがカラックス監督ご自身の作家性についてうかがえないでしょうか。
カラックス:私は寡作な作家です。いろんな問題に出会って、多くの作品を撮ることはできませんでした。いずれにしても多作になることはなかったでしょう。自分が前の作品をつくった自分と同じであるという確信が持てないと、映画はつくれないからです。毎年自分が新たに作り出すことはできません。それは不可能です。© Pierre Grise Productions

文・編集:白玉 撮影:やなせゆうこ 編集協力:市川はるひ

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