お刺身の達人のような監督になりたいー『マルティニークからの祈り』 パン・ウンジン監督インタビュー
- 2014年08月29日更新
もしも、身に覚えのない麻薬密輸容疑で逮捕され、言葉も通じない異国の地で投獄されてしまったら——? 映画『マルティニークからの祈り』は、平凡な主婦が、ある日突然に予想もしなかった事件に巻き込まれる恐怖と、その無実を信じて奮闘した家族の765日にもおよぶ闘いを、事実を基に描く人間ドラマだ。
主人公のジョンヨンを演じたのは、『シークレット・サンシャイン』(2007)でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞した韓国を代表する実力派女優、チョン・ドヨン。妻を取り戻すため奮闘する夫を演じるのは、コ・ス。平凡だが家族思いの夫を演じるために8キロも体重を増やし、二枚目のイメージを封印して挑んだ。
監督を務めたのは『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(2012)などを手掛けたパン・ウンジン。女優としてのキャリアも持ち、複雑な人間心理を繊細に描くことに定評のあるパン監督が、本作で描きたかった真実とは……?
緊急来日した監督に話を聞いた。
事件を世間に知らしめ、二度と起きないようにしなければと思った
― 実際に起きた事件に基づいて描かれた作品ですが、この題材に出会った時の感想と、映画化するに至った動機をお聞かせください。
パン・ウンジン監督(以下、パン監督):実際の事件は2004年に起きて、2006年に解決したのですが、韓国で広く知られたきっかけは、同年に韓国放送が製作した「追跡60分」というドキュメンタリー番組が取りあげたことです。当時、私は番組を観ておらず、新聞の小さな記事で事件のことを知りましたが、しばらくは忘れていたんです。
それから数年経って、監督作である『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(以下、容疑者X)の撮影中に本作のお話をいただいたのですが、私にくるまでに監督の名前が何人も挙がっていたそうなんです。企画を聞いてニュースのことを思い出して、今の自分ならこの作品をうまく撮れると思いました。そして、シナリオを読んであらためて、平凡な主婦にこんな事件が起こるのかと考えさせられ、同時に、在外国民を保護するはずの韓国外交部の不誠実な対応にも怒りを感じました。この事件を世間にきちんと知らしめ、二度と起きないようにしなければいけないと思ったんです。
― 実際に映画化するにあたって、どのような準備をされましたか?
パン監督:はじめに、本作の主人公のモデルとなったチャン・ミジョンさんの手記や日記、事件に関する聴聞会の記録や捜査日誌などを読み込みました。その手記や日記は、彼女が韓国に戻ってから書かれたものでした。というのは、服役中に書いた日記などは、韓国に戻る時に取り上げられてしまったそうなんです。それらを読んだとき、同性としてミジョンさんに共感する部分がとても多かったんです。家賃も払えないような貧しさのなか、寒い季節に娘へダウンジャケット1枚も買ってあげられないという切実な思いや、家族への恋しさや申し訳なさが綴られていました。そのなかで、拘留が解かれて久しぶりに家族と再会したときに、娘さんから「本当にわたしが赤ちゃんだったころのお母さんなの?」と聞かれたというエピソードがとても印象に残っていて、このセリフを劇中でも使いました。
チャン・ミジョンさんは「良い映画を作ってくださって、ありがとう」と言ってくれた
― 韓国で行われた試写会にチャン・ミジョンさんを招かれたそうですが、ご本人の感想や反応はどういったものでしたか?
パン監督:ミジョンさん自身はシナリオも読んでいない状態で試写会に来てくださったので、どんな物語になっているのか大変気になっていたと思うのですが、作品を観終わった後に私のことを抱きしめながら「良い映画を作ってくださって、ありがとうございました」と言ってくださって、とても感激しました。チョン・ドヨンさんに対しても、「私が感じた気持ちとまるで同じ描写があってびっくりしました」とおっしゃっていました。
― 実在の人物が多く登場されるという点で、悩まれたり気を付けたりしたことがあれば教えてください。
パン監督:私が一番気にしたのは娘さんのことです。事件から約7年経って映画化したので、彼女もいろいろなことが分かる年齢になっていましたし、実際に、この作品が世に出たことでミジョンさんに「お母さんは、刑務所に行っていたの?」と聞いたらしいんです。そのことを知った時には少なからず胸が痛みました。でも、その後にミジョンさん自身が娘さんのために本を出版されたんです。本の中で、ミジョンさんは娘さんにこの事件を理解してもらえるようにと綴っていましたし、こんなことが二度と起きてはいけないという気持ちで出版されたと思いますので、娘さんも理解してくれたのではないかと思っています。私も同様の意図でこの映画を製作しましたので、その辺は気を使いながら撮影を進めました。
― 韓国外交部としては本作で失態を露見してしまうわけですが……。
パン監督:あくまでも実話に基づいていましたから、領事や大使など外交部の人を描く部分ではそんなに気を遣わなかったですが、映画化するにあたっては彼らを少し戯画化している部分もありますし、おそらく映画にしたことで関係者たちは怒っていたと思います。特にフランス駐在の外交部の人たちは「麻薬の犯罪者を美化するような作品」と所見を述べていらしたのですが、こちらとしては犯罪を擁護する気持ちや外交部の悪事を暴こうという意図ではなくて、こんな残念な現実が本当にあったということを皆さんに知ってもらいたい気持ちの方が強かったんです。実際に、この映画の公開を取りやめるようにという内容の脅迫状がどこからか届いたこともありますが、韓国の観客の反応としては「官僚ってああいうものだよね」という意見が多かったですね(笑)。
チョン・ドヨンが演じたことで、想像した以上の作品に
― チョン・ドヨンさんの演技が真に迫っていて、観ていて圧倒されました。
パン監督:彼女はイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』(2007)でカンヌ国際映画祭の主演女優賞を受賞した後、しばらく休業されていたんですね。彼女にとって復帰作となるのがこの作品で、役に対して良い意味での欲がものすごくありました。余談になりますが、『シークレット・サンシャイン』では、この演技の上手なドヨンさんがイ監督の演出に憎悪を覚えるくらい、もどかしい思いをしたそうです(笑)。というのは、イ監督の演出は直接的なものではなくて、例えば「現場を感じなさい」とおっしゃったり、直接演技に関係のない話をされるんですね。ただ、その作品に出たことで彼女の演技も変わったと思いますし、今となっては別格の女優になっていると思います。実はドヨンさんが演じたジョンヨン役は韓国女優たちにすごく人気があって、演じたいという方は大勢いらっしゃいましたが、彼女が演じたことで私が想像した以上のものになりました。撮影では大変な苦労をかけてしまって申し訳ない気持ちもありますが、この作品の後は3本の映画出演が決まられて、本作で見事に女優復帰してくれたことを嬉しく思っています。
― 撮影中に、ドヨンさんと意見がぶつかったことなどはありますか。
パン監督:私から見るドヨンさんは、愛らしい反面すごく鋭くて、時には自分の意見を曲げない頑固なところもあるハリネズミのような俳優です。彼女はとても正確な演技をする人で、大切な感情を表すシーンでも、撮影前に話し合ってから臨むこともあり1、2テイクで撮影が済みましたが、ラストの法廷のシーンだけは16回くらい撮り直しました。というのも、本当に大切な場面だということはお互いに分かっていたのですが、それぞれ表現したいところが違っていたんですね。ここでは彼女の意見を取り入れることもあれば、説得して折れてもらうこともありました。
― 法廷のシーンはすごく印象的でした。家族のために悪意なく犯してしまった罪とはいえ、劇中でジョンヨンは被害者的な立場として描かれていたと思うんですね。でも、ラストシーンでは自らの罪に真摯に向き合う。そこに本作の誠実さを感じました。あのシーンは手記などにあった事実を再現したものなのか、監督の演出として付け加えたシーンなのかを教えてください。
パン監督:法廷での陳述内容や証言は残っていないので実際の様子は分かりません。ただ、ドキュメンタリー番組の中でミジョンさんは「自分は罪人ではないとは言っていない。ただ、もう少し関心をもってほしい」と語っていました。おそらく、彼女は実際の法廷でも悔しいということだけを訴えたのではないと思うんですね。法廷のシーンでは、自分が罪人であるということを認め、法的な罪を犯したと同時に、家族に対しても罪を犯したということを語っています。そして「家に帰りたい」という気持ちを切に訴えます。その気持ちこそが、本作を通して私自身が訴えたかったことでもあり、最初から考えて法廷のシーンに持っていきました。ドヨンさんは、あのシーンで俳優としての自身の成長をぶつけた演技をしたいと思ったでしょうし、お互いに何度も話し合って慎重に撮影をしました。結果としてあのシーンは私たちが作り上げたものと言えるでしょうね。
俳優に新しい服を着せるのも監督の一つの役割
― ジョンヨンの夫を演じたコ・スさんはこれまで美男子役が多かったので、本作では平凡で冴えない男を熱演していて驚きました。『容疑者X』でも、リュ・スンボムさんが従来のイメージとは少し異なる役を演じていましたが、監督には俳優の新たな一面を引き出したいという欲求があるのかなと思いました。
パン監督:キャスティングの時は、あくまでシナリオを忠実に再現するためにどの俳優がいいかということを考えます。そのために、これまでに演じてきた役などを参考にして、この俳優ならきっと演じられるだろうという可能性を見て選びますが、同時に俳優というのは常に変身願望があると思うんですね。同じ役ばかりではなく、どこかで違う服を着たいと思っている俳優に、新しい服を着せるのも監督の一つの役割だと思っています。
コ・スさんもリュ・スンボムさんも、それまでとは違う役をやりたいと思っている時期と出演のオファーがタイミングよく重なって、結果として新しい一面を引き出せたのだと思います。コ・スさんの場合は、本作のクランクインの日に息子さんが誕生したんですよ。そんな時に、初めて家長の役をやることになったわけですが、彼なりにおじさんに見えるようにと、8キロも体重を増やして役に挑んでくれました。もともとはスタイルも良くて美形ですので、太るのは大変な苦労を伴ったようですが、思っていた以上の演技で応えてくれたことを本当に嬉しく思っています。とはいえ、誰もが意外なキャスティングだと思うような時は、製作サイドでも難色を示すので、こちらも「どうしてもこの俳優を使いたいんです」という風に説得しなくてはなりません。そこは大変な部分でもありますが、それが功を奏して良い作品になった時には、本当に良かったと思いますね。
お刺身の達人のような監督になりたい(笑)
― パン監督ご自身も俳優をされていたということで、ほかの監督と違うと思う部分があれば教えてください。
パン監督:自分が俳優のときは押し付けられる演出が嫌いなので、基本的に俳優たちの考えを尊重しています。カメラの中に入ってきて演技してもらうのではなくて、カメラを演技に合わせていくような演出をしたいんです。以前、日本のテレビ番組を観ていたら、お刺身の達人という方が、生簀から魚を穫って神経繊維に触れずに身だけを卸し、骨だけになった魚を水槽に戻すと、再び泳ぎ始めるという技を披露していたんです。すごくびっくりしたのですが、おそらく魚は自分が切られたことにさえ気がついていないのではないかと思いました。それを見て、自分もお刺身の達人のような監督になりたいと思いました(笑)。
俳優自身は演出されているという感覚があまりなく、自然と良い演技を引き出すというのが私の求める究極の演出ですね。先ほど話に出た、イ・チャンドン監督は私のメンターともいえる存在なのですが、イ監督が言ってくださったことで印象深かったのが、「俳優は楽な監督を望んでいるのではない。自分が俳優として成長できる、あるいは勉強できる監督と出会いたいと思っているものだ」という言葉です。あらためて監督という仕事を考えせられました。以前、『オーロラ姫』(2005)という作品を撮った時に、主演のオム・ジョンファさんが「この作品に出ることで、演技の幅が広がった」と言ってくださったのですが、そんな風に私の作品によって羽ばたいていく俳優がいることは嬉しいですし、監督としてのやりがいを感じます。
― 最後に、これまでに影響を受けた監督や作品、これから撮ってみたい作品などがあれば教えてください。
パン監督:これは少し難しい質問ですね。というのも、私自身が今は自分のスタイルを模索している時期で、その時々で答えが変わるからです。ストーリーテリングとしては、まるで小説を読んでいるようなイ・チャンドン監督の作品はとても素晴らしいと思います。ただ、私自身はそうしたスタイルでは映画を撮れないと思っています。撮ってみたい作品はいろいろありますが、これまでやってこなかったようなジャンルにも挑戦したいですね。ドラマが強調されたものもいいし、SFやアクションなどの痛快なものもいいですね。クエンティン・タランティーノ監督やジョージ・ルーカス監督のようなパワーのある作品を撮りたいなとも思います。北野武監督も大好きです。韓国の監督では、チェ・ドンフン監督はシナリオを書くのが本当にお上手で、好きな監督です。ただ、一人の監督でもさまざまな作品を撮っているし、特にこれだけに影響を受けたというのはないですが、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(1976)が昔からとても好きで、『オーロラ姫』で夜のシーンを撮る時には撮影監督に『タクシードライバー』を観てもらい、「こういったトーンで撮ってほしい」とお願いしたことはありますね。
▼『マルティニークからの祈り』作品・公開情報
(2013年/韓国/131分)
監督:パン・ウンジン
脚本:ユン・ジノ
出演:チョン・ドヨン、コ・ス、カン・ジウ、ペ・ソンウ、コリンヌ・マシエロほか
配給:CJ Entertainment Japan
コピーライト:©2013 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved
※2014年8月29日(金)より、TOHOシネマズシャンテほか全国順次ロードショー
取材・編集・文・撮影(インタビュー):min
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