『マルティニークからの祈り』― 平凡な主婦が巻き込まれた悪夢、そして家族の闘い
- 2014年08月30日更新
家族の元へ戻るまでの「長い帰り道」を描いた真実のストーリー
約10年前に韓国で実際に起きた「チャン・ミジョン事件」をベースに描いた映画『マルティニークからの祈り』は、言葉も通じない異国の地で、身に覚えのない麻薬所持容疑で拘留された平凡な主婦と、妻であり母である彼女を取り戻すために闘った家族の765日を追った物語。主役のジョンヨンを演じたのは韓国随一の演技派女優、チョン・ドヨン。冴えないが優しい夫のジョンベにはイケメン俳優のコ・スが扮し、これまでのイメージを払拭した泥臭くも重厚な演技をみせる。あまりにも深い絶望と恐怖の闇の中で、次々に襲いかかる苦難に窒息しそうになりながらも「家に帰りたい、家族に会いたい」というジョンヨンの一途な思いが、細く強い一筋の光となって観る者の胸を終始貫いていく。鑑賞後は、家族と過ごせる何気ない日々の重みをあらためて感じることだろう。
絶望の中で訴える無実。しかし、叫びを聞く者が一人も居なかったら……?
愛らしい一人娘のヘリン(カン・ジウ)と、少し頼りないが優しい夫・ジョンベ(コ・ス)に囲まれ、貧しくも幸せな日々を送る主婦・ジョンヨン(チョン・ドヨン)。だがある日、ジョンベの友人が莫大な借金を抱えて自殺。2億ウォン(約2000万円)の保証人になっていたジョンベは、家族とともに住んでいた家を追われ、明日をも見えない生活を強いられる。そんな折、ジョンベの友人から「金の原石」をフランスまで運ぶ仕事を頼まれたジョンヨンは、一抹の不安を抱きながらも家族のために引き受けてしまう。しかし、荷物の正体は麻薬だった。フランス・オルリー国際空港に着くやいなや逮捕されてしまうジョンヨン。フランス語はおろか英語さえ話せず、誰も自分の言葉を理解してくれないという最悪な状態の中で拘束された妻を助けるため、死にもの狂いで奔走する夫。平凡につつましく暮らしてきた家族を待ち受ける、想像を絶する悪夢の日々とは……?
母国の恥部ともなりかねない事件をさらけ出した本作は、韓国国民の正義と勇気が作り上げた映画
約2年という長い期間、ジョンヨンが祖国にも家族の元にも戻れなかった主因として韓国外交部の不誠実な対応がある。この事実を広く韓国中に知らせたのが2006年にテレビ用に製作された1本のドキュメンタリー番組だった。番組は大きな反響を呼び、韓国国民はネットを中心に怒りの声を国にぶつけ、それがきっかけとなって事件はようやく解決へと動き出す。本作にも、そうした外交部の事実を赤裸々に描き出している。この事件を映画として発信することは、ともすれば母国の恥部ともなりかねない事実を世界にさらけ出すことにもなるわけだが、パン・ウンジン監督は「事実を描くことで、同じような事件が二度と起こらないようにしたい」という強い意志をもってメガホンを取った。壮絶な幼児虐待の真実を描き、映画公開後に起こった論争が法律まで変えた『トガニ 幼き瞳の告発』 (2011)に続き、本作もまた韓国国民の正義と勇気によって世に送り出された作品だといえる。
圧巻の演技をみせるチョン・ドヨンと、イケメンオーラを封印したコ・スの役者魂に注目
『シークレット・サンシャイン』(2007)でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞し、名実ともに世界的な女優となったチョン・ドヨンが、2年間の休業を経て復帰作として選んだのが本作だ。極限状態の中、家族への強い愛だけで正気を保ちながら、次第に心と体を蝕んでいく主人公の姿を、自身も妻となり母となったドヨンが見事に演じきる。さらに、自身の弱さから妻を窮地においやった夫を演じるコ・スは華麗な容姿を自ら壊し、約8キロも体重を増やして役に臨んだ。そんな二人の役者魂に圧倒されながらも、上司の顔色ばかり見ている駐仏大使館の課長を演じたペ・ソンウや、権力と暴力で刑務所を支配する看守役のコリンヌ・マシエロなど、脇を固める俳優の個性的な演技にも注目したい。映画の後半、ジョンヨンがマルティニークの青い空と海を前に佇むシーンは、あまりに切なく空虚で美しい。「家に帰りたい」という当たり前の願いが、ここではどんなに尊いことか……。普段ならば、取るに足らない小さな望み。それが叶うまでの、あまりにも長い帰り道を劇場で一緒に歩んでみてほしい。
▼『マルティニークからの祈り』作品・公開情報
(2013年/韓国/131分)
監督:パン・ウンジン
脚本:ユン・ジノ
出演:チョン・ドヨン、コ・ス、カン・ジウ、ペ・ソンウ、コリンヌ・マシエロほか
配給:CJ Entertainment Japan
©2013 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.
※2014年8月29日(金)より、TOHOシネマズシャンテほか全国順次ロードショー
文:min
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