『100,000年後の安全』マイケル・マドセン監督インタビュー-答えを提示することはしません。あなたの答えはなんですか?

  • 2012年01月05日更新

4月2日の上映開始から、福島原発事故を背景にテレビ、雑誌を始めメディアで取り上げられ、70館での拡大上映となったドキュメンタリー作品『100,000年後の安全』。今回はDVD発売直前に来日したマイケル・マドセン監督に核廃棄物をテーマにした本作について伺いました。
答えを提示するのではなく、質の高い質問を心がけているというマドセン監督。インタビューの中で監督は、福島原発事故を感情的な側面から捉えるとともに、起こったことに客観的に向き合い、話し合う事の重要性についても言及。あなたは監督の投げかける問いにどう答えますか。






純粋にこの建物がなにを意味するのかということを撮らせて欲しいと依頼しました(マドセン監督)
-この映画を作られた動機をお聞かせ下さい。
マイケル・マドセン監督(以下マドセン):オンカロは十万年維持され、壊れることなく存在する建物です。人類史上このような建造物は存在しませんでした。過去には大聖堂とかピラミッドといったものはあるかもしれませんが、それは宗教のモチベーションを元につくられたもので、(宗教ではない歴史的建造物としては)未だかつてない、全く新しい存在だと思ったところが興味の対象の一つでした。また、核廃棄物が今の私達の時代にどういう意味を持つのかとうことが興味としてありました。


-施設にインタビューを申し込んだ際、すぐに許可をえられたのでしょうか。
マドセン:私はこの映画を作る時に核エネルギーの施設に反対だとか賛成ではなく、オンカロがどういうものなのかというものを理解したいと(担当者に)話しました。純粋にこの建物がなにを意味するのかということを撮らせて欲しいと依頼したのです。オンカロの広報の方は最初、OKを出してくれました。広報の方は僕が見るに映画好きの方のようでした。僕の映画のアプローチの仕方を正しく理解してくれて面白いと思ってくれたようです。しかしながら、撮り始めて、作品に興味を示してくださった団体や媒体がサポートしてくれることになり、広い範囲で公開することが見えてきた途端に(管理会社から)契約書が送られてきました。デンマークの弁護士は「(この契約書は)最悪のものだ。この契約書にうっかりサインすると編集権、削除権がオンカロを運営する会社に行ってしまうと」と言いました。また、契約書の最後の条項に2011年まで公開してはならないとあります。2011年というのはオンカロが完成して(作業が)終了するタイミングで、それでは意味がありません。これは受け入れがたいということでプロデューサーは管理会社に対し「今まで私たちは申し出た姿勢を保ってきました。あなた方がこのような契約を申し出るという事は何かを隠しているというように受け取られます」と6~9カ月交渉を続け、2011年前に公開しても良いということになりました。


映画を作る時には観客を信頼するとことが大事。答えを提示することはしません。むしろ質の高い質問を作るという事を心がけています。(マドセン監督)
-善悪ではなく、事実を捉えた淡々としたフィルムです。制作上で音楽、ナレーションなど善悪に囚われない工夫をされたと思うのですが、一番気を付けた点はお聞かせください。
マドセン:映画を作る時には観客を信頼するとことが大事です。この映画に限らず、観に来てくださる観客の方々は常に私が理解するように正しく理解し、好奇心を持ってくれるようものだと考えます。ですので、答えを提示することはしません。むしろ質の高い質問を作るという事を心がけています。この映画が完成した時にドキュメンタリーフィルムの映画祭に出品したのですが、上映後にアップリンク社長の浅井さんが「日本でこれを見せたい」と真っすぐ来てくれました。まだ福島の原発の問題も起きていない2009年の11月でした。地味な素材であるにも関わらず、すぐに決めてくれる方が現れたのは私としては大きな励みとなりました。震災前にアップリンクさんはこの作品に何かを見出してくれたということですね。


暗闇が意味するのは(核廃棄物が無害になるまでの)10万年という恐ろしく長い期間(マドセン監督)
-映画の中で登場する闇が印象的です。この作品の中の闇はどのような意味を持っているのでしょうか。
マドセン:一番怖いのは核廃棄物の存在です。世界中どこでも原子力エネルギーを使えばおのずとゴミは出てきます。また、今回の福島の事故のような形でも核廃棄物は存在します。核発電所でも炉から廃棄物がでます。どんな形であろうと、(人類は)完全に把握していない新しい炎に火をつけて燃やしてしまいました。暗闇が意味するのは(核廃棄物が無害になるまでの)10万年という恐ろしく長い期間です。さらに怖いのは(10万年の間に)そこに入っていく人間の存在です。奥深くに埋めても人間が侵入するのを防ぐのは非常に難しい問題であることがこの作品をみていただければ分かると思います。先が分からない所に闇があります。核エネルギーが正しい、正しくないではなくて、もう使ってしまった以上厳然と核廃棄物は存在し、今使っている私達がどう責任を取るのか?責任を取る義務があるんじゃないかと考えています。


「廃棄物が完全に無毒化するまでに想像つかないような歳月がかかる事をこれまで誰も教えてくれなかった」という意見が多かった。(マドセン監督)
-『100,000年後の安全』を観た海外の観客の反応はいかがでしたか。
マドセン:色々な国で上映させていただきましたが、だいたい同じような反応でした。(その多く意見が)「原発というのがこれだけのごみを出すという事や絶対に廃棄物が出ながらも完全に無毒化するまでに想像つかないような歳月がかかる事をどうしてこれまで誰も教えてくれなかったんだ。」というものでした。このまま核廃棄物を埋めてしまったからといって未来になにが起きるか分からない。それなのに今の自分達に何も解決策がなくて(言葉を失い)シーンとしてしまう。そういう反応が多かったです。フィンランドで上映をした時にある女性がやってきて「私の国のことなのに、誰も教えてくれなかった」とおっしゃられてショックを受けていました。




オンカロもこの作品もレクイエムのようなものだと思っているんです。(マドセン監督)
-監督はインタビューやシンポジウムで核廃棄物の問題について、被害の悲しみや社会の空気に同調するのではなく、根本を見つめて解釈しなければならないとおっしゃっています。監督の表現スタイルについてお聞かせ下さい。
マドセン:一人の批評家がこの映画の美しさを見て、「映画を取る人間も機械の美しさの魅惑の前にはひれ伏してしまったのか」と書いた人がいました。(機械の美しさは)なんとも言えない無機質な美しさです。従来の苦痛を受けて、もがき、悲しむ人達を写しだすのとは違う側面から物事を切り取ることで、私が新しい表現方法を提示したのかもしれないと思っています。モーツアルトのレクイエムを思い出してください。死を描いているが限りなく美しい。美しいからと言ってきれいなものを扱っているわけではありません。オンカロもこの作品もレクイエムのようなものだと思っています。10万年後にはテレビもDVDもないかもしれないけれど、私達がなにものだったのかという足跡になるでしょう。科学や技術の進歩は価値のあるもので、否定はしません。しかしそれを受動的になんでも受けてしまわない事です。それを享受するのであれば、それを声に出して話し合う事が必要です。日本人の方は話し合っているのでしょうか?居住できない避難地区にいた人たちが生活を全て奪われた悲しみはおぞましい現実です。そこに目がいってしまいます。それよりも残酷なのは事実をあいまいにし、これから先になにがあるのかをつまびらかにしないことです。「つまびらかにしない」ということが日本の文化であるなら、(福島の事故は)実は起こるべくして起こった災害かもしれません。


「隠したい」という真意を知った時にシナリオが固まった(マドセン監督)
-技術と共に人のモラルに話が進むのですがその点について完成のイメージは取材前からありましたか。
マドセン:このシナリオが固まったのは、(管理会社の)「隠したい」という真意を知った時ですね。一番怖いのは欠陥ではなく、「人間」の好奇心が一番怖いんだということを知った時にこういうものにしようと思いました。オンカロというのは危険な設備です。人はオンカロに核廃棄物を埋めたことで問題は解決されたと思っている可能性があります。これこそ一番怖いことです。誰かが掘り起こしてしまったら大変なことになるわけですから、問題は解決していません。かなり厳しい基準を作ったところで、人間的本質的な要素を計算に入れると掘り起こしてしまう可能性はなくならず、欠陥のある施設と言わざるを得ません。一方、オンカロは10万年後のために作られたのではなく、現在に生きる人々のために作られたという見方も出来ます。原子力発電のアキレス腱と言われた核廃棄物がこれで解決したぞということを見せるために作られたという見方もできるわけです。怖いのは欠陥ではなく、「人間」ではないでしょうか。


今、日本も福島の問題をどう対処するかが問われるところ。どういう態度を取るかによって悲劇ではなく賢く成長する機会に。(マドセン監督)
-オンカロを作ったフィンランドは10万年後のいう、限りない遠い未来を推測していますが、日本ではこれだけ長い期間の予測のもと核廃棄物の処理の問題に取り組んではいないのが現状です。フィンランドの人々にとって将来を推測することの原動力とはなんでしょうか。
マドセン:『何事も常に同じではない』ということがこの問題の核心だと思います。フィンランドの人々に想像力があるというより、10万年後にはどうなるか分からないところに問題の核心があります。10万年後の人達が果たしてどんな考え方をするのか。我々からすれば(オンカロを)開けないのが当たり前の選択だと思うけれど、実際そのように選択するかどうか分からない。(考え方が)そっくり変わっているかもしれないのですから。使ってしまった以上はそこに責任が発生します。降参とかやめようということは出来ないと思います。人間が責任を感じるのは子どもが生まれた時だといわれています。自分一人だったら自分だけの命だけれど子どもが生まれるとそこに責任を感じる。この問題と言うのはその先何世代も先の子孫の話なんです。私達が起こした過失から末来を守るにはどうすればいいのか。一世代の人達がしたことを何千世代先の人にまで負わせてしまっていいのか。これこそが本当に取るべき責任なのです。今、日本も福島の問題をどう対処するかが問われるところですね。どういう態度を取るかによって悲劇ではなく賢く成長する機会になりうるのです。



恒例の靴チェック
アーティストらしく機能的でスタイリッシュなデザインのシューズ。「なんで靴を撮るの?」と興味津々のマドセン監督でした。








マイケル・マドセン プロフィール
1971 年生まれ。映画監督、コンセプチュアル・アーティスト。
ストリンドベリの「ダマスカスへ」をベースに、都市と景観を上空から撮影した映像作品「To Damascus」(2005)のほか、何本かのドキュメンタリー作品を監督。また、コペンハーゲンのタウンホール広場の地下にある、面積900平方メートルのサウンド・ディフージョン・システムを備えたギャラリー「Sound/Gallery」の創始者及び、芸術監督を務める(1996-2001)。ニューミュージック&サウンドアート・フェスティバル SPOR 2007 のデザインやデンマークのオーデンセの音楽図書館のコンセプトを考案。また、ゲストスピーカーとして、デンマーク王立芸術学校、デンマーク映画学校、デンマークデザイン学校で講演している





100,000年後の安全 [DVD]▼『100,000年後の安全 』作品情報
2009年/75分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語
監督・脚本:マイケル・マドセン
脚本:イェスパー・バーグマン
撮影:ヘイキ・ファーム
編集:ダニエル・デンシック
出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ
ULD-617 3,990円(税込)
☆日本語吹替版ナレーションには田口トモロヲ氏を起用!
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文・編集:白玉 撮影:hal

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