『優れたドキュメンタリーを見る!』トークイベント開催されました

  • 2009年12月30日更新

優れたドキュメンタリーを見る!vol.1

2009年12月27日、アップリンクファクトリーでの『破片のきらめき―心の杖として鏡として』、『フツーの仕事がしたい』の上映後、高橋愼二監督、土屋トカチ監督によるトークイベントが開催された。

映画を撮るきっかけ、共通点

高橋監督:「精神障がい者のための施設が近くにあり、お祭りのチラシを見てたまたま遊びに行きました。影絵を上映していて、すごく綺麗な、素晴らしい自閉症の青年の切り絵があって、会場でその絵について尋ねた人が、映画に出てくる安彦(あびこ)講平氏。「八王子の病院の精神科で活動をしているので、興味があれば遊びに来ませんか」と言われました」。

「行ってみると、アトリエに自分が落ち着ける不思議な空気があって、「これはいったい何だろうな」と思い、通い始めました。自由に出入りできる病院だったので、仕事に合間にただふらっと行っては話しをしたり。不思議な、貴重な空間であることがわかって、カメラマンですからこの不思議な空間を解き明かそうと、自分のために、『破片のきらめき』を撮り始めました」。

土屋トカチ監督土屋監督:「『フツーの仕事がしたい』は、2006年に撮り始めて、2008年10月に公開が始まりました。息の長い映画として見ていただけて嬉しいです。初めから映画作品として撮り始めたわけではなく、労働組合から依頼が来ました。映画の主人公の皆倉さんが、組合で暴力沙汰になった時のために記録を残しておきたいとの依頼でした。そこでカメラを持って出かけていったら、地面が揺れている、映画の冒頭のシーンのような状況でした。お客さんに同じ気分を味わっていただきたいと思って、最初のカットから使ったのです。その後ジェットコースターのように、いろいろなできごと、想定できないことが立て続けに起こっていきました。その時は、映画にする予定がなかったのです。眼鏡を壊されたり、左腿もがんがん蹴られて怖い思いもしたが、仕事だと思い無我夢中で撮り続けました」。

ドキュメンタリー映画を撮るということ

高橋愼二監督 高橋監督:「かつては映画をつくるということはプロの仕事でした。今はカメラは数万円で買えるし、誰でも撮れる状況になっていますが、そういう状況になったからこそ、”撮る”ということを、もう一度考える必要があると思います。カメラは暴力にもなるし、大切なものを伝えるものにもなる。使い方だと思う。そこに行くということと、カメラを回しつづけるということは、すごく大切なことです」。

「一方で、カメラが非常に嫌らしく感じる作品もあります。なんでこんなことを撮るの、なんのために撮っているの、という作品。自分の作品を売るため、宣伝のために、衝撃的な部分を選んで撮って編集してそういう時のカメラは嫌ですね。精神障がい者を撮るにあたり、突然大声で叫んだり、走り回ったり、そういう絵がないと指摘される時がありますが、逆に私は『なんでそういう映画観たいの?そういう映画を観て、じゃあどう思うんですか?』と聞き返しています。『精神障がい者って変だよね、危ないよね』という感想を持って、わかったと言い張り、自分とは違うと思って安心する。そうした映画は私は撮らない。普通の人でもたまに人と喧嘩したりするでしょう。それをことさらフレームアップしないように撮りました。唯一、映画のなかで、元木さんが、家のなかですべてのものを確認しないと行動できない状況を撮ったシーンがあるが、彼らのつらさを共有してほしくて、かなり長いカットをほとんど編集しないで使っています」。

会場からの質問・感想①相手がたの会社の社長の顔や行動を撮っているが、許可を得てのことか?(労働争議中の女性)

土屋監督:「よく、『こういう映画を興行にのせますね』と、『どうかしていますね』と言われるが、本当にどうかしているんですね(笑)。「撮影の時に、撮りますよ、と声をかけてから撮る。映画にするとか、上映することについて許可はとっていません。会社名、個人名も、出す必要がある、と自分が判断した時に出しています。交渉にプラスになる場合や、あまりにも理不尽な対応をする会社の場合はそういう時にビデオカメラで記録することは大事だと思う」。

質問・感想②仕事がない、やりたいことがないという人たちも多い。

 高橋監督:「アジア、アフリカ、南米にも仕事で行くことがあるが、日本に帰ってきて人が普通に生きるということは何なのかなと思います。時差じゃなくて、意識の差を感じる。いい学校、いい会社を目指すレールに乗っている人は、世界中で一握りです。日本が戦後豊かになろうと思ってやってきた結果が、『なんのために生きているのかわからない』という事態になっています。人間は、落ち込んでうつ状態になったり、ハイになったりいろいろな状態があるでしょう。(一生)精神健常者という人はいないのではないか」。

 質問・感想③会社関係者も組合の人たちもヤクザにしか見えなかったが、こうやってやらないと労働条件が改善しないという世の中に対して、どうにかしなければいけないと思いました。障がい者たちの人が、自分のことをいちばんよく知っている、見ようとしているという言葉が印象に残りました。(労働法を学んでいる学生)

土屋監督:「団体交渉は穏やかに人間的に話すけれども、暴力を使う行為や、脅迫された時など、人間が喜怒哀楽をはっきりさせなければいけない時はあると思います。好きな女性に対する時と同じように、怒っているということを伝えるために声が大きくなるのでは」。

質問・感想④皆倉さんにお聞きしたいが、プロの活動との間で、追いていかれるとか、逆風を感じる時はなかったか?

皆倉さん:「自分が困って相談するまでは組合について全く知りませんでした。やっていくと、組合のなかで、解雇とか、自分みたいな状況をかかえている人がいっぱいいるということに気づきました。自分のことも考えるし、人のことも考えて、自分なりに助けられるところはやるし、自分にも何かあれば、また助けてもらうということで労働組合員として動いている。行動しながら、組合の考えもわかってくる」

質問・感想⑤「一人では何もできなかったけれども、あのように行動することで、自分の周りの環境を変えることができたということを感じた。自分のところがとにかく勝つんだという競争原理の基盤そのものが、映画のなかの人たちを生み出しているのではないか、という気がする。今後、このような人たちも増やさないために、どういうことができるのか」

高橋監督:「お金を生まない人は、社会のとっていらない、という今のシステムがあります。精神障がい者の人たちが働くことが現実に難しい」。

土屋監督:「お金だけがすべて、とい考え方が行き詰っているのは明らかで、お金がなくても生きていけるシステムに変えていけば、もっと楽しいことができるはずなのにと思います。今まで100年200年かけて、ものをたくさん作って環境をぶっ壊してきたので、戻すのにも時間がかかるでしょう。すぐにはいかないけれどもこつこつやる。もらった命ですから、使い切ることは大事です。僕は競争はほどほどにして、楽しく生きていければいいな、という暢気なほうがいい。ただ、自分の権利がおかされそう時に声をあげる、怒る時に怒ることが、日本人はなかなかできないようになっていることはまずいと思っています。生き抜くための手段を邪魔する奴等は良くないと思うし、改めて欲しいと思う」。

質問・感想⑥『破片のきらめき』のアトリエのように、年齢、経験も異なるいろいろな人間が集まっている場、というのはいいと思う。能力といわれるものがなければだめだという考え方に押し込まれていってしまうと、ろくなことはなっていかないという気がしている。(教員の男性)

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高橋監督の『破片のきらめき―心の杖として鏡として』の上映希望の方は、制作委員会まで。

土屋監督が撮影に参加した映画『犬と猫と人間と』が、1/2(土)~1/15(金)まで、アップリンクXで上映される。『犬と猫と人間と』(監督:飯田基晴)は、捨てられた犬と猫を巡って、人間のエゴと愛情をとらえた作品。
改行

  • 2009年12月30日更新

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