“偉大なるインディー魂” — 崔洋一監督インタビュー
- 2009年11月13日更新
“偉大なるインディー魂” 崔洋一監督
日本映画界をリードする映画人の一人である崔洋一監督が、第10回東京フィルメックス映画祭の審査委員長に就任した。同映画祭は、アジアの新人監督の作品を中心にコンペティションが行われており、ラインナップやトークイベントのクオリティーの高さから、映画ファンの絶大な支持を受けていることで知られている。崔監督は、次世代を担う若手への期待、1930から50年代にかけての映画の魅力、メジャーを離れた部分での新たな挑戦についてわれわれに語ってくれた。
—ご多忙の中、フィルメックス審査委員長を引き受けた理由は?
「『あんたをびっくりさせてやる!』と言われて(笑)」
10年前に東京フィルメックスを立ち上げた(ディレクターの)林さんと(プログラム・ディレクターの)市山さんとは、世界の映画祭で一緒になることが多く、昔からの知り合いだった。フィルメックスは精神的な拠り所として大きな存在で、10年前から僕は応援団の一人でした。その二人から「(コンペの作品で)あんたをびっくりさせてやる!」と(審査委員長依頼の)お話がきたので、それなら「びっくりさせてもらおうじゃないの」と思って引き受けました(笑)。
この10年は、フィルメックスのお客さんだった人が作る側になる時期でもあるんじゃないかと思うので、そういう点にも注目していきたいですね。主張が強い映画祭というのは「つくる・みる」という関係を生みだすんです。
—世界の映画祭で感じた、「つくる・みる」の関係とは?
「ナント映画祭での少女の質問にはたまげたよ」
ナント映画祭(フランス)に行った時に、中学生が課外授業として映画祭をドキュメンタリーしてたんです。そこでの質問には、たまげたよ。「『月はどっちに出ている』(93)でフィリピーナとコリアンがセックスする必然性を教えてくれ」と。「そりゃ映画観てわかっただろ?」って言ったら、「でも、なぜそのシーンを持ち込んだのか監督に直接聞きたい」と12歳の女の子に迫られて(一同爆笑)。でもそれは「つくる・みる」という、メディアリテラシー(情報を取捨選択して活用する能力)も含めた授業なんだよね。
−若手に期待していることは何ですか?
「インディーだからこそできる、世界に広げる大風呂敷」
今の日本のフィルムメーカーたちは、内省的な世界というものをとてもよく表現しているけど、同時にどんなに小さな世界を描いても、そこから切り開いて大きな世界を見せていくという、映画の躍動感があってもいいと思う。ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)はまさに名実ともにそうだよね。たった二人のごんたくれ青年の小さな世界が、どれだけ世界の若者たちに影響を与えたか。
熊切(和嘉)は『鬼畜大宴会』(97)でデビューしたけど、今はまったく違う世界観の作品を撮ってる。それもいいけど、『鬼畜大宴会』を撮ったときのような熊切をもう一度観たいと思う、オーディエンスとしての僕もいます。また、滝田(洋二郎)も『おくりびと』(08)よりは、『シャ乱Qの演歌の花道』(97)のほうが好きだったな、と思うこともある。
−崔監督が挑む二つの挑戦とは?
「低予算への挑戦、インディーズでありたいという強い気持ち」
僕より若い監督二人とオムニバスの企画があって、最初は一人予算5万円と言っていた。配給のこととかは気にしないでやろうと。タイトルは『BOY』で、しばりとしてセンチメンタリズムはダメ。わくわくしている企画だけど、やっぱり5万じゃ無理だね(笑)。カメラも自分でやらなきゃならない、家族総出で。でも普段表現できない部分が表現できるかなと。特に音楽に関してはそうしたい。ハウス系好きなんで、自分で打ち込みながら作ってみたいなと。まだ素人の領域ですけど。
「手垢が厚くなることに対する表現者としてのおそれ。そこで向き合うのは真摯に生きる普通の人との映画づくり」
この6年ぐらい、北海道穂別町の老人たちと映画作りをしています。3本できていて、今度4本目にチャンレンジですね。老人たちには、「どうせ死ぬなら、やりたいことやっちゃおう」って、それですよ。事実もう六人も死んでいる。でもその六人は最後に映画作りにかかわったことで、ある幸福感を持ったことは事実だと思う。徹底して、メイド・イン・穂別。プロダクションから配給・上映まで、全部を彼らだけでやっています。それがある種、あのプロジェクトを支えています。当の高齢者たちはまったく気づいていないけど、近頃は「穂別シュルレアリスム」と呼ばれてます。
注:北海道旧穂別町(現:むかわ町)の高齢者たちが手作りする映画を、崔監督が総合指揮している。特に第3作『いい爺いライダー』(09)は、『イージー・ライダー』(69)をパロったユーモラスな内容で注目を集めた。
−娯楽性とアート性のバランスについて、どう思いますか?
「30年代モダンは最高におしゃれで、しかも稼いでいる」
フィルメックスの特集でやる30年代モダンの映画なんて最高におしゃれですよ。島津保次郎なんか好きなんですけど、ああいう感覚学びたいですよね。娯楽映画のもつ骨太さは永遠になくしてはいけないし、一方でメジャーに対するカウンターカルチャーとしての小さな映画もあり続けなければならない。かつて松竹の撮影所で木下(恵介)さんが言ったという説があるんですが、「金は僕らが稼ぐ。小津(安二郎)君は自分の道を行けばいい」と。不思議なもので、生涯では2次利用3次利用を含めると小津の方が稼いだといわれています。大巨匠はわかってたんですね。娯楽とアートは映画にとって両輪であるのだと。
また1950年代の日本映画の切り口を見ると、「もしかしたら、あのときのほうが優れてはいないか?」と思うこともあります。貧しい時代だから、基本的に夢と希望があるんですよ。「夢と希望は幻ではないか」と考えた黒澤(明)がいて、「夢と希望は現実的に階段をのぼっているが、俺は少し冷ややかなキャメラを置くよ」と考えた小津がいる。小津は、貧乏と貧乏人が大嫌いなんです。「貧乏人は憐れむ対象でしかない」と小津が考えているということは、彼の映画を観ればよくわかる。それがいけない、と言っているのではなくて、小津の映画を観ると、当時の東京からの、ひとつの視点が見えます。黒澤は「世界の田舎者」です。だから、欧米の近代文学を剽窃……、早い話がぱくって、堂々と力強く、映画を作った。アメリカが日本にインスパイアしていった戦後民主主義はさまざまな捉えかたがありますが、当時を代表する黒澤や小津といった知識人は、ひとつの民主主義をまったく違う角度から見たんです。おもしろいことですね。
−映画業界の現状についてどう思われますか?
「今は観たい映画を選びづらくなっているのでは」
映画館で観るというのは体感すること。面白いこともつまんないことも。うれしいことも悲しいことも。それはなくしてはいけないし、なるべく豊かで、オールジャンルで選べるようにしていかなきゃならない。でも、今は選びづらくなっている。メジャーもツラいけど、ミニシアターはもっとツラい。それをなんとかするのは若い世代の人々ではないかな。
1949年生まれ。『十階のモスキート』(83)がベネチア国際映画祭に出品され、鮮烈なデビューを飾る。『月はどっちに出ている』(93)では53にわたる映画賞を独占し脚光を浴びる。『血と骨』(04)では日本アカデミー賞最優秀監督賞ほか多数受賞。最新作は松山ケンイチ主演の『カムイ外伝』(09)。日本映画監督協会理事長、宝塚造形芸術大学教授。
取材・文:安藤文江・香ん乃・おすず 撮影:鈴木路子
- 2009年11月13日更新
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