【外⼭⽂治監督インタビュー】「東京予報 ―映画監督外⼭⽂治短編作品集―」2025年、東京の“かたすみのひかり”を描く——8年ぶりの短編集に込めた想い
- 2025年05月09日更新
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『ソワレ』『茶飲友達』などで国内外から高い評価を受ける外⼭⽂治監督による「東京予報―映画監督外⼭⽂治短編作品集―」が、2025年5月16日(金)よりシモキタ – エキマエ – シネマ『K2』を⽪切りに全国順次公開される。
2025年の東京の “かたすみのひかり” をコンセプトに描く3部作『名前、呼んでほしい』『はるうらら』『forget-me-not』には、田中麗奈はじめ豪華キャストが集結。「先⾏き不透明な時代に、この短編作品が天気予報のような明⽇を⾒つめるお守りになれば――」そんな願いを上映タイトルに込めたという外山監督に、8年ぶりとなる短編作品集への想いを聞いた。
(取材:富田旻)
自分自身の表現を高めていくために、常に発信していきたい
― 2017年に劇場公開された『映画監督 外山文治短編作品集』から、8年ぶりとなる短編作品集ですね。その間に『ソワレ』『茶飲友達』などの長編作で高い評価を受け、映画を作る環境もかなり変わられたと思います。このタイミングで再び短編作品集を手がけた理由を教えてください。
外山文治監督(以下、外山監督):8年前の第一弾の時は、⻑編映画デビューしたものの、しばらくは本当に仕事がなくて、自分の作家性を世間にアピールしなくてはと必死でした。同時に、ひとりでも映画を撮り続けられるようになろうと思い、製作・監督・脚本・宣伝・配給のすべてを自分で担いました。
その後、『ソワレ』『茶飲友達』と繋がっていくのですが、仕事の規模が大きくなると年単位で物事が進んでいきます。企画の立ち上げから発表までに約3年、国際共同制作になってくるとプラス1年はかかってくる。だから自分にとって長編映画は4年に一度のオリンピックのような、人生をかける勝負という位置付けです。
でも、長編作に携わっているあいだにも数をこなしてもっとうまくなりたい、大きい作品では拾えないささやかな題材を表現したいという衝動が常にある。だから短編は、自分自身の表現を高めるために発信しているんです。
― 8年前とは監督としての立ち位置も大きく変わった中で、今回も製作・監督・脚本・宣伝・配給とすべてに携わられていますね。“必要性” という意味では、ご自身で担わなくてもよくなったのでは?
外山監督: “届ける努力” を今ここでもう一度やるのが自分にとって大事なことだと思ったんです。作品の規模が大きくなると監督は、時として他人の作る神輿に乗るのが仕事みたいな感覚になってきます。もちろんそれも重責ですが、もっとトータルで作品のパッケージを作って届けていきたいという思いがあります。
― 初心とも呼べるそのモチベーションを持ち続ける理由はなんですか。
外山監督:単純に物語を作って届けるのが好きだということです。そして偉くなったと勘違いしちゃいけないっていうか……今も劇場にチラシを持っていったら誰にも相手にされなかったとか、そういう負荷がないとダメだと思います。
昨年の高崎映画祭では、『茶飲友達』で最優秀監督賞をいただいたのですが、授賞式に母親を呼んだんです。その時、周りが自分のことを監督として一つ持ち上げてくださるような感覚に母親は危機感を覚えたらしく、「おごるなよ」と言われました。
ただ自分としてはそんな感覚は全くなくて、いまだにアマチュア根性でいますし、インディペンデントだから劇場へのチラシの補充や配布だって自分でやる。その中でいろんな人に助けられている。だから周りの皆さんには感謝しかない。そういう初心は最後まで忘れないでいたいです。
短編の器だからこそ活きる、「かたすみのひかり」の物語たち
― 「かたすみのひかり」というコンセプトにはどのような想いが込められていますか。
外山監督:物語には題材に⾒合った器があると思っていて、例えば今作の『forget-me-not』みたいに、ガールズバーの女の子たちがただお喋りしている物語なんて絶対に長編映画にはならないですよね。私が描きたいと思うのは、光がなかなか当たらない人たちの⽇常の機微で、短編の器だからこそ活きる題材もあると思うんです。そうしたささやかな物語を通して、2025年の東京の「かたすみのひかり」を時代の空気感と共に描きたいと思いました。⻑編映画を撮れるようになると短編を撮らなくなる映画監督も多いですが、自分はライフワークとして短編を撮っていきたいと思っています。
― 3部作とも、どこか身に覚えのある感情や感覚が描かれていて、胸の奥にじんと響くものがありました。個人的には、最初の短編集からのテーマである「時代から零れ落ちる感情を丁寧に掬う」という外山監督の作家性にとても惹かれます。見過ごされてしまうようなささやかな感情に、自分以外の誰かが気づいて丁寧に掬いとろうとしてくれる……その視点に優しさと、他者への希望みたいなものを感じるんです。その視点はどこからくるのか、監督ご自身も「生きづらさ」みたいなものを抱えているのか、知りたいです。
外山監督:自分の中でどこか “ままならない感覚”は、幼少期からありました。身体も弱くて何をやってもダメみたいな状況があって。日常生活も授業もまったくついていけずに母が学校に相談していた。私には普通が遠すぎたんですね。
「人より上手にできると思ったことがない」という感情が第一にあって、それはいまだにそうです。できる側の人たちの感情にシンパシーを感じない。でも、それを不幸として描きたくないし、そういう人たちの幸せを探したいと思って描いています。
― 意外です。実際にお会いすると、作品性から想像していたよりもずっと明るい印象の方ですし。
外山監督:基本的に気楽な性分なのと、両親のおかげでコンプレックスを感じるとか卑屈になることはなかったですね。でも、そこから目線が変わらない人間が、監督という特殊な立場になって、周りからの目線に対して「なんだか自分のことを随分できる人と捉えている、怖いぞ」っていう感覚は常にありますね。
『名前、呼んでほしい』― 実力派俳優たちが紡ぐ大人の恋愛模様
― 不倫関係を解消するべく最後に1⽇だけ夫婦として過ごす男⼥を描く⼤⼈のラブストーリーですが、ファーストシーンから沙穂役の田中麗奈さんの美しさに釘づけになりました。意識的に美しく撮ろうとされたのでしょうか。
外山監督:美しく撮ろうというよりは、自分の映画でしか見られない表情を撮りたいとずっと思っています。それは岡本玲さん(『茶飲友達』)もそうだし、吉行和子さん(『燦燦-さんさん-』『春なれや』)、芳根京子さん(『わさび』)もそうですけど、私の作品ならではの魅力がぱっと開花するようなことを求めているというか、もちろんそれが結果、美しさになるといいとは思っています。
実は、ありがたいことに田中さんにも「女性を綺麗に撮ってくれるイメージがあった」とおっしゃっていただいたんです。自分としては、女性は可愛らしく、男性はセクシーに撮りたい。無意識にそう撮っているような感じはありますね。
― 涼太役の遠藤雄弥さんも、ちょっとした表情に孤独を滲ませるところがセクシーでした。でも、やはり女性側とはスタンスがちょっと違う。ずるいけど、休日の一日を沙穂に付き合ってあげる優しさもある。そういう多面的なキャラクターが短い中にも垣間見えて、魅力的でした。
外山監督:うれしい感想です。最近だと「沼る」とか言いますけど、大人の映画としてちゃんと日常に戻る選択をした二人を描けたっていうのは、良かったなと思います。
― とてもスリリングだったのが、沙穂が家族と食事をするシーンです。もう、夫婦のやりとりにドキドキハラハラ(笑)。噂によると、台本上はト書きが⼀⾏だけだったとか。
外山監督:そうなんです。「鍋を⾷べる家族。沙穂は⺟親の顔になっている」だけしか書いていませんでした。でも、物語全体を通してなにか一つピースが欠けているような思いがずっとあったんです。自分が描きたかったのは、秘密の関係に舞い上がった男女ではなく、日常の中でふっと息が抜ける瞬間が二人の時間であるということなのに、現場が始まってもどうしたらいいのかわからなかった。
それでもう、いよいよ鍋のシーンしか残ってない段階で、「ここでの夫婦の会話でうまくいくかもしれない!」と思いついたんです。夫も生活に疲弊して女性がいるのかもしれないとか、妻とうまくいってないのかもしれないとか、そういうことを盛り込むことによって、全部がうまくいくと思ったんですよ。
― いやぁ、素晴らしかったです。名シーンでした!
外山監督:いいシーンですよね(笑)。夫役の関幸治さんは大変実力のある役者ですが、ト書きに田中さんの表情のことしか書いていないので、「自分の顔は映らないだろうけど、仲の良い監督の作品だからちょっと行くか」くらいのノリで来てくれたそうなんです。それなのに、現場で急に「やってみてもらえますか?」って(笑)。田中さんにとっても急な相談だったので、二人とも本番中に自分たちが何を喋るかわかってないんですよ。そんな映画の撮り方はあまりないですが、面白かったですね。実力のある俳優たちだとこう着地するんだって、ものすごく勉強にもなりました。
― さすがのお二人ですね。ぜひ多くの方にこの緊迫感を味わっていただきたいです!
『はるうらら』― 脚本を超えていくみずみずしい才能を活写
― W主演を務めた星乃あんなさんと河村ここあさんのみずみずしい存在感と、思春期の複雑な感受性、桜の美しさが印象的な作品でした。女子中学生たちの空気感や会話がとても自然でしたが、彼女たちは以前から仲が良かったとか、何か特別な演出をされたのでしょうか。
外山監督:いえ、この作品のために集まっていただきました。自分が書いているセリフなので、自由に変えてもらって構わない。ただ、その役者の言葉になってない場合は、その人自身の言葉になるまで探ることはしますね。
― 探るとは、具体的にどのようなことをされるのですか。
外山監督:セリフっぽくなったら、脚本に書かれてあるセリフを一切使わずに話の筋だけは通すというルールでエチュードをしてもらうなどします。中学生役の彼女たちは、私が2024年に芸能プロダクションのレッスンを10社ほど担当させていただいた中で出会いました。すでに活躍はされていますが、「見つけた!」という感覚がありました。今回の3部作とも有名無名に関係なく自分が信頼をおける役者に出ていただいたのですが、さすがだなと思うのは、自分の言葉で演じるとはどういうことか悩みながらも、みんな即座に判断してくれるんです。
そうすると、私には書けない言葉がたくさん出てくる。そこが自分の映画の魅力にもなっていると思います。もちろん、一生懸命書いた脚本ですので、その通りやっていただいても面白いものになると思っていますが、「脚本を超えていく」ことは大事にしています。
― 東京の下町に咲く満開の桜の風景がとても美しく印象的でした。前回の短編集の『春なれや』もそうだったと思いますが、撮影のタイミングを計るのが大変だったのでは。
外山監督:桜の話を思いつくたびに撮影が大変だなとは思うんですが、やっぱり桜が好きなんです。何分咲きでも物語が作れる。散る姿も好きだし、実は5月の生命力あふれる青々とした新緑の桜が一番好きです。それはまだ誰も映画にしていないと思いますが。
― 新緑の萌える桜のお話も、いつか拝見したいです!
『forget-me-not』― ユーモアを交えて描く“人の死さえコンテンツ化する現代”
― 外山監督の作品の中では異色といえる作品ですね。“死”と “孤独”を題材にしながらも、悲しみとおかしみが同居しているというか、ポップに描かれている。当事者にしてみればネットカフェで孤独に命を断つという相当悲惨な話なのに、不謹慎ながら何度も笑ってしまいました。
外山監督:3部作の中で唯一 “自分事” じゃない作品です。誰かの死をいじるというか他人事として消費していく、人の死もコンテンツにしてしまう現代の無関心さを描きました。それってSNSの文化ではなく、日常においてもそうじゃないかっていう感覚があって。
― 人の死がコンテンツ化している……自分も含め本当そうかもしれません。ニュースやSNSで見て一瞬の正義感で肩入れしても、2、3日もしたら忘れている。いやでも、絶妙に不謹慎なセリフにかなり笑ってしまいました……。
外山監督:常連客が自殺したって聞いた時の反応が「きもっ!」ですから。ほんと、ひどいですよね。
― ガールズバーという設定はどこから考えられたのですか。
外山監督:歌舞伎町みたいな歓楽街じゃなくても、東京の街ってどこに行ってもガールズバーの呼び込みの女の子が立っていますよね。まさに今の東京の風景だと思ってずっと映画にしたかったんです。
― まさに今の東京の風景ですね。仲が良さそうに見えても、店で顔を合わせるだけのミカ(内海誠⼦)、エリ(イトウハルヒ)、ハル(宇野愛海)の関係が、ふっと近づく一瞬が描かれているのも印象的でした。
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信頼する優秀なスタッフたちと、手作りで撮り上げた3部作
― 3部作とも映像と音楽も素晴らしかったです。特に朝岡さやかさんによる音楽は、言葉にしていない感情までも掬いとって表現されているようで、とても心に響きました。
外山監督:これまでの私の作品は全て朝岡さんに音楽をお願いしています。映画を観た方から「音楽が良かったね」という感想もたくさんいただきます。自分の好きな世界観を理解してくれて、ぐっと高いレベルにまで昇華してくださる。朝岡さんじゃなかったら多分自分はしんどいだろうなと思うぐらい信頼しています。そしてもちろん映画は総合芸術なので、たくさんの皆さんの力が合わさってできています。優秀なスタッフと放課後に集まって⽂化祭の出し物を⼀緒に作るような気持ちで向かい合って、手作りで撮り上げた作品です。
― 短い物語の中に大切な感情が込められていて、ご都合主義じゃないリアルさも含めて嘘がない、素敵な3部作でした。多くの方に届くことを願っております! 本日はありがとうございました。

1980年⽣まれ。福岡県出⾝。短編映画『此の岸のこと』が「モナコ国際映画祭2011」で短編部⾨・最優秀作品賞をはじめ5冠達成。⻑編映画デビュー『燦燦-さんさん-』は「モントリオール世界映画祭2014」より正式招待を受ける。2017年に「映画監督外⼭⽂治短編作品集」を発表し、ユーロスペースの2週間レイトショー観客動員数歴代1位を樹⽴。
2020年、⻑編映画『ソワレ』が釡⼭国際映画祭「アジアの窓」部⾨正式招待作品となる。2023年、⻑編映画『茶飲友達』公開。渋⾕1館公開から全国86館まで拡⼤。同作で第48回報知映画賞「作品賞」「監督賞」にノミネートされ、フランスのパリで開催される「KINOTAYO現代⽇本映画祭(Festival du cinéma japonais contemporain Kinotayo)」ではグランプリを獲得。第37回⾼崎映画祭にて「最優秀監督賞」「最優秀主演俳優賞」を受賞。
『名前、呼んでほしい』
【STORY】妻であり⼀児の⺟でもある沙穂は、同じく妻⼦持ちの涼太と恋⼈関係にある。涼太に惹かれる沙穂は、しかしこの関係をいつまでも続けてはいけないという冷静さも持ち合わせていた。沙穂は涼太に、1⽇だけ夫婦として過ごして関係を解消することを提案する。約束の⽇、ふたりは「ユウスケくんのパパ」「ヒナタちゃんのママ」であることを忘れ、⾒知らぬ街でお互いの名前を呼び合い、1⽇限りの夫婦になった。
(2025年/ヨーロピアンビスタ/ステレオ/26分)
製作・監督・脚本:外⼭⽂治
出演:⽥中麗奈。遠藤雄弥
関幸治、太宰美緒、⽥⼝智也
©外⼭⽂治
『はるうらら』
【STORY】中学三年⽣の⼆宮春(ハル)と⽔原麗(ウララ)の⼆⼈は、そっくりな⼥の⼦。ある⽇の放課後、TikTokの撮影をしていた彼⼥たちは、SNSで偶然ハルの⽗親の姿を⾒つける。 彼⼥が⼦供の頃に離婚して家を出て⾏った⽗は、東京の外れでスコーンの美味しいカフェを営んでいた。ハルはウララを連れて⽗に会いに⾏くことにした。それもハルがウララに、ウララがハルになり変わって会いにいくのである。果たして10 年ぶりに会う⽗は娘を間違えずに気づくことができるのだろうか。
(2024年/シネマスコープ/ステレオ/20分)
製作・監督・脚本:外⼭⽂治
出演:星乃あんな、河村ここあ
松本麗、鷹⾒そら、重松りさ、⿃居功太郎
吉沢悠
©外⼭⽂治
『forget me not』
【STORY】東京の夜の街⾓でガールズバーの呼び込みをするミカ、ハル、エリは常連客の君島がインターネットカフェで遺体で⾒つかったことを知る。彼のズボンのポケットには「死んだら呼んでほしい⼈」のメモが残されてあり、そこに3⼈の名前が記載されてあった。翌⽇、無縁仏となった君島のために3⼈は葬儀場へと向かった。
(2025年/シネマスコープ/ステレオ/15分)
製作・監督・脚本:外⼭⽂治
出演:内海誠⼦、イトウハルヒ、宇野愛海、
ねりお弘晃、盛井雅司
©外⼭⽂治
🎬「東京予報―映画監督外⼭⽂治短編作品集―」
『名前、呼んでほしい』『はるうらら』『forget-me-not』
※2025年5⽉16⽇(⾦)よりシモキタ – エキマエ – シネマ『K2』ほか全国順次公開
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