『樺太 1945年夏 氷雪の門』

  • 2010年07月31日更新

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現在、ロシア領サハリンと呼ばれているかつての樺太 ― 太平洋戦争が終わりを迎えようとしている1945年8月9日、長崎に原爆が投下されたのと同じ日に、ソ連は「日ソ不可侵条約」を破って、満州と、そして、樺太に侵攻した。

樺太では、婦女子に対して疎開命令が出たが、真岡郵便局で交換嬢として任務に就いていた若い女たちは、職務を遂行するため、敢えてその命令に背いた。1945年8月20日 ― 太平洋戦争終戦の報は、5日前にもたらされたはずだったのに、樺太へのソ連の侵攻は、とどまるところを知らなかった。

紅蓮の炎に包まれる戦場と化した真岡の町。最期まで郵便局で職務を全うした女たちは、自分たちのもとへソ連兵が迫ってくるのを、局の窓越しに認めた。彼女たちの胸元には、青酸カリが潜められていた。

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『樺太 1945年夏 氷雪の門』 ― 戦争が既に終結しているはずの8月20日、自らの命を投げうった若い女たちのこの物語は、実話である。

村井三男のメガフォンによる本作は、太平洋戦争時の樺太の真実を描いた貴重な映画として、1974年3月29日に劇場公開されるはずだった。

しかし、ロードショー直前に、急遽、公開中止となってしまう。当時の新聞資料等によると、外務・文部両省に、「反ソ映画の上映は困る」とソ連大使館から抗議があったため、配給会社が公開を自粛したということだ。その後、東映洋画配給によって、北海道・九州で2週間ほど劇場公開がされたものの、実質的には、本作が日の目を見ることはなかった。

「語り継がなければならない史実」を描いた『樺太 1945年夏 氷雪の門』のフィルムが、2004年に発見され、新しくデジタル処理を施して、2010年の今年、遂に劇場公開が決定した。

1974年当時に、製作実行予算が5億数千万円を超えた大作である。スケールの大きさは無論、本作の見どころのひとつだが、時代に圧殺されかけたこの映画を観る意味は、「戦争に翻弄されて、自ら死を選ばなければならなかった若い命」の有様を直視することにこそあるだろう。

終戦から65年 ― あの戦争を決して忘れてはならないから、二度と戦いを繰り返してはならないから、『樺太 1945年夏 氷雪の門』に描かれた真実と、私たちは対峙しなければいけない。

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▼『樺太 1945年夏 氷雪の門』
作品・公開情報

日本/1974年/119分
監督:村山三男
脚本:国弘威雄
原作:金子俊男
美術: 木村威夫
出演:二木てるみ 若林豪
岡田可愛 丹波哲郎
南田洋子 他
提供:「氷雪の門」パートナーズ アジア映画社 太秦株式会社
協力:「氷雪の門」上映委員会
配給:太秦
コピーライト:(C)「氷雪の門」上映委員会
『樺太 1945年夏 氷雪の門』公式サイト(※音が出ます)
※2010年7月17日(土)よりシアターN渋谷(東京)にて、同8月7日(土)から札幌シアターキノ(北海道)、横浜ジャック&ベティ(神奈川)他にて、全国順次公開。

文:香ん乃
改行

  • 2010年07月31日更新

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