『ABEL』で長編監督デビュー メキシコ人俳優ディエゴ・ルナの挑戦

  • 2010年05月21日更新

カンヌ国際映画祭で特別上映された『ABEL』は、なんとも不思議な“感触”を観る者に与える作品だ。

9歳の男の子アベルは、父親が家を出て以来、話すことをやめた。暫く病院で治療を受けた後にアベルは帰宅するが、ある時突然、自分を父親であると倒錯することで再び口を開きはじめる。母親を妻として扱い、姉や弟を監視するアベル。みなアベルを思って同調し、アベルが一家の長として振舞う様子がユーモアを交えて描かれる。

アベルと、その弟パウロの子どもならではの低位置にある、無邪気な視点。アベルの母親の溢れんばかりの愛情。それらがスクリーン上であまりに純粋に混在する。監督したのはメキシコ人俳優で、『ミルク』などハリウッド映画でも活躍するディエゴ・ルナ。初の長編監督作品となる今作を携えてカンヌ入りした彼にインタビューした。

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「やっと自分が正しいところでやるべき仕事をやった感じだよ」―『ABEL』についてこう語るディエゴ・ルナ。国際的に活躍する俳優となっても、はやり本当の舞台はメキシコだと考えているらしい。今作には自分の幼少期の出来事のメタファーを存分に盛り込んだという。幼くして母親を亡くし、父親の厳しい管理のもと、子役としてショービジネスの世界で仕事をしてきた彼。子どものまま一家の長として振舞うアベルに、やはり子どものまま大人に成らざるを得なかった過去を投影した。現在のディエゴ・ルナ自身、1979年生まれという実年齢にそぐわぬ少年のようなファニーフェイス。インタビュー場所に現れるや“Reserved”と書かれた自分の席をみて「おっと、予約席だ!」ととぼけて退席を試みるギャグをかまして喜ぶ、まだまだ子どもが内に眠っているような、絶妙なアンバランスさを持った人物だ。

そして『ABEL』という作品全体に溢れる“母性愛”。冒頭に述べた“不思議な感触”というのは、母親を知らず、かつ男性監督であるディエゴがこれを目一杯描いていることに対する不思議さなのである。「僕は母を知らないから、理想の母親像を描いた」のだという。さらに、「妻と子どもを見ているといて、その素晴らし光景や妻の表情から感じ取った感覚を取り込んだ」。そうして撮り上げた母親の姿は、さながら女性監督による作品のように繊細で力強い。

『ABEL』はかくもディエゴ・ルナ個人の思い入れの強い作品なのだ。正直なところ、一本の映画としてはまだまだ幼稚な部分がある感覚は否めない。しかし、その純粋さ、若干の倒錯、家族を思う気持ちは、監督の内面世界をクリアに表現した貴重な記録であるといえる。
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nittaa2 子役とともに歓声に応えるディエゴ。ガエル・ガルシア・ベルナルも写真撮影。

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今年のカンヌには、子どもの頃からともに子役として活躍し、映画製作会社カナナを立ち上げた盟友であるガエル・ガルシア・ベルナルがカメラ・ドール(新人監督賞)の審査員長として参加している。レッドカーペットには一緒に登場し、会場を盛り上げた。2人は日本で6月19日公開予定のロードムービーー『闇の列車、光の旅』で製作総指揮を務めている。中南米の厳しい現状を描いた同作。ただの人気者では終わらない、メキシコの社会問題や映画産業について真剣に憂う彼らの社会派の一面がうかがえる。

取材・文:新田理恵
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  • 2010年05月21日更新

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