『ロストパラダイス・イン・トーキョー』 白石和彌監督 インタビュー

  • 2010年09月26日更新

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白石和彌監督の長編デビュー作『ロストパラダイス・イン・トーキョー』が、2010年9月18日(土)~10月8日(金)まで、ポレポレ東中野にてレイトショー。全国順次公開予定です。

『ロストパラダイス・イン・トーキョー』は、不況と格差が問題視されて久しい現代日本の底辺で生きている3人の若者が、「人とつながること」で希望を見いだしていく物語。公開を記念して、白石監督に独占ロング・インタビューをしてきました。本作をこれからご覧になるかたは予習に、既にご覧になったかたは余韻を更に深めるための復習に、どうぞじっくりとご堪能ください。

― 本作はオリジナル脚本の映画ですね。知的障害を持つ兄・実生とその弟・幹生の兄弟、そこに関わる聡子という女性、この三人がメイン・キャラクターですが、この物語を作ろうと思ったきっかけは?

白石和彌監督(以下、白石) 本作の共同脚本を務めた高橋泉さんと約1年間かけて、原作のある作品を手がけていたのですが、それが諸事情で実現しなくなって、「では、オリジナル作品で、なにかやりましょう」という話になりました。そのときに、それまで一緒に作っていた原作もののイメージと匂いが残っている物語にしたかった、というのがひとつの理由です。

加えて、僕がもともと頭の中で思い描いていた物語がありました。それには実生にあたる兄は登場していなくて、ひと組の若い男女の、恋愛や友情とは違う「魂のぶつかりあい」の物語です。その構想を高橋さんにプレゼンして、ふたりでいろいろと話しあった結果、できあがったのが今回のストーリーです。まずは幹生がいて、知的障害を持つキャラクターの実生は、あとから作りました。

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― 本作には、知的障害者である実生の性生活を描いている部分があります。それが物語のテーマというわけではありませんが、このようなタブー視されることもある題材を扱うことに関して、勇気を必要としましたか?

「世間的に弱者と見なされている人物を描くにあたって、僕のスタンスはどうあるべきか、ということは常に自問自答しながら作りました」

白石 知的障害者の性を扱うことに関して躊躇はありませんでしたが、それ以前に、知的障害者というキャラクターを映画に出すことのリスクは考えました。知的障害者には、社会的弱者というイメージがあります。僕自身は、そういったかたがたを弱者とは考えていませんが、世間的に弱者と見なされている人物を描くにあたって、僕のスタンスはどうあるべきか、ということは常に自問自答しながら作りました。

実生は自閉症をモデルにしています。自閉症のかたがたが暮らす施設を取材したときに、そこで働く職員のかたが、「自閉症の人には、健常者と同じように喜怒哀楽があるけれど、それを自分で表現できなかったり、他人が言ったことを受けとめたりすることができない。そういう障害なんです」とおっしゃいました。そのお話を伺ったときに、自閉症のかたがたも、(健常者の)僕らと同じだ、と思ったんです。なので、実生を描くにあたっても、「たまたま、そういうキャラクターを持った、同じ人間なのだ」という目線で描けば問題はないのだ、とふんぎりがつきました。

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― 聡子役に内田慈さん、幹生役に小林且弥さん、実生役にウダタカキさんをキャスティングした経緯は?

「小林さんにお会いした瞬間に、『幹生は彼しかいない』と思いました」

白石 本作のプロデューサーの齋藤寛朗さんが、小劇団の演劇に詳しいかたで、「聡子を間違いなく演じることのできる女優がいるから、会ってほしい」と言われて紹介していただいたのが内田さんでした。

幹生役に関しては、いくつかの方面に脚本をお送りして読んでくださった俳優さんの中で、小林さんが名乗り出てくださいました。小林さんにお会いした瞬間に、「幹生は彼しかいない」と思いました。

ウダさんは、出演作の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』等で以前から存じあげていました。今回の脚本を読んでいただいたら、「実生を演じたい」とおっしゃってくれました。

― 聡子は、風俗嬢と秋葉原でのアングラ系アイドルを兼業している、というキャラクターですね。複雑な面のある役柄ですが、役作りにあたって、白石監督と内田さんのあいだで、どのようなお話をしましたか?

白石 内田さんは演劇でのお仕事がメインのかたなので、クランク・インの前に1週間くらいリハーサルをして、そのときにいろいろとディスカッションをしながら、キャラクターを作っていきました。

聡子の前職はOLだろうというニュアンスはあっても、具体的には描いていません。OLだった頃の彼女になにがあったのか、ということについては、内田さんも知りたがっていたので、ある程度説明はしましたが、内田さんの想像に任せた部分も多いです。聡子の過去に大きな傷があることは間違いないのですが、少なくとも、現在・今を一生懸命生きている女の子なので、内田さんには「今」の感情を強く持っていただいて、そこにモチベーションを保って演じてほしい、と伝えました。

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― 聡子の前職・バックグラウンド・家族などについては、敢えて具体的に描かれていませんね。そういった部分は、映画をご覧になるかたがた各自の想像に委ねたい、ということでしょうか?

「聡子というキャラクターにすべての母性を集中させたかった」

白石 そうですね。加えて、よく指摘もされるのですが、実生が事件を起こした相手の家族も、奥田瑛二さんが演じる父親しか登場しませんし、幹生と実生からも母親の匂いを感じないようになっています。それは、「聡子というキャラクターにすべての母性を集中させたかった」という計算です。そういう意味も含めて、聡子以外には、母性を感じさせるキャラクターを排除しました。

― 聡子をなぜ、「秋葉原のアングラ系アイドル」という設定にしたのですか?

「(秋葉原という)元気のある場所から、まずは物語をスタートさせたかったんです」

白石 秋葉原という街を使いたかった、というのがあります。本作の脚本を作った2008年当時は、日本が大不況と言われ始めた頃でした。ですが、一方で、「秋葉原には元気がある」とニュースで報道されていたので、「この現象は、どういうことなのだろう」と不思議に思ったんです。

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秋葉原にもともとあったアニメやゲームという文化自体が、そもそもはアンダーグラウンドだったわけですが、今では、そういった文化もアングラではなくなっていますよね。2008年のあの頃は、これらの文化が(オープンに)花ひらいた瞬間でもあったと思うんです。そういう元気のある場所から、まずは物語をスタートさせたかったんです。

僕は1974年生まれで、会社員を経験したことはありませんが、助監督として社会に出たときには既にバブルが崩壊していました。映画の現場に携わるごとに(映画製作の)予算が減って、条件がどんどん厳しくなっていきました。もともとの高所得者は更に儲かっても、低所得者はなにも変わらないか、悪くなる一方、という状況です。つまり、社会に出てから、(金銭的な意味で)よい思いをしたことがないんですね。

「人と人とのつながりをしっかりと確認すれば、人間の幸せはそこに発見できるのではないか」

僕らの父親のような世代の人々は、社会の状況が悪くても、たとえば政治運動をするなど、「世の中は、これからよくなるのだ」という希望を持って生きていました。でも、現代の日本に生きる若者たちは、今の日本を形成している資本主義社会に期待をいだけません。現状を変えるためにどうすればよいのかがわからなくて、ともすれば借金を抱えて、未来に希望を持つことができないんですよ。

こんな状況の中で、では、どのように生きていけばよいのだろう、と考えたときに、人と人とのつながりをしっかりと確認すれば、人間の幸せはそこに発見できるのではないか、と思いました。そう考えて、この映画を作ったんです。

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映画の中に秋葉原という街を使ったのは、僕自身も、どこかに希望を持っているからかもしれません。作った僕も、自己分析をしきれていないんです。自分のそういったもやもやしている部分を踏まえたときに、秋葉原という街にひっかかるものがあったんですね。

映像作家として作品を発表していく上で、僕自身もいつか社会に希望を持ったり、(社会にとって有意義なことを)なにか思いついたりするかもしれませんが、今の時点では希望をいだくことができません。子供や次世代のことを考えると、「こんな国に住ませたくない」と思ってしまう。でも、映画監督として何かを表現する上で、社会と人を見つめながらも、希望を見つけたいし、どこかで提示したい。エンターテインメントになるにせよ、自主制作映画になるにせよ、そういった部分は背負っていかなくてはならないと思っています。ですから、今後、手がける作品でも、そのような面は表現していきたい、と思っています。

― 実生と幹生は実の兄弟ですが、聡子は彼らの血縁ではありません。この三人が疑似家族を形成する物語かと思って最初は観ていたのですが、展開が進むにつれて、それだけではないと感じました。家族にしろ、恋愛にしろ、人と人との関わりにはいろいろな種類がありますが、あの三人を通じて、白石監督はどのような人間関係を表現したかったのでしょうか?

「現代では、安住の地というのは、人間関係にしかないと思っています」

白石 恋愛については、あまり考えていなかったですね。体を重ねることが、恋愛感情とイコールではありませんので。ただ、もしかすると、このあとの彼らのあいだに恋愛感情が芽生える可能性はありますから、そこに行きつくまでの過程となるかもしれません。彼らの出会いが特殊だったので、このような物語になりました。

現代では、安住の地というのは、人間関係にしかないと思っています。たとえば、誰かが朝ごはんを作ってくれて、それに対しての自分の気持ちをどう表現するか、どう大切にするか、人間関係を築く上で、なにが必要か。そういった、人が人を求めてどうつながっていくか、ということがテーマなので、恋愛や家族をことさら強調して作ったわけではないですね。

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― 『ロストパラダイス・イン・トーキョー』というタイトルにした理由は?

「『なにかを失ったところからスタートする』という意味をタイトルにこめたかった」

白石 メイン・キャラクターたちが最初に予定していたパラダイスやアイランドは消滅して、手の届かないもの・架空のものになるわけですが、それを失うところから、彼らの関係性が新たに作られていきます。「なにかを失ったところからスタートする」という意味をタイトルにこめたかった、という思いがあります。「ロストパラダイス」とは言いつつも、実は「パラダイスを見つける」という物語です。

― 平坦な土地に1棟のタワー・マンションが建っている、という情景が劇中にたびたび登場しますね。

「『底辺にいる人間が、普段、見あげて生きている感じ』を出したかったんです」

白石 埼玉県の川口市で撮影したのですが、あそこは本当に変わった土地なんです。1棟のタワー・マンションがどーんと建っていて、川口のかたなら誰もが知っている有名な建物なんですよ。ただ、あの地域は、タワー・マンションが建ったことによって再開発されるのかと思いきや、実はそうでもないんです。

秋葉原や渋谷のような大都市の裏側を撮影したいと思っていたのですが、僕がイメージしていたリアルな場所がなかなか見つからなくて、結果的に、川口にそういう匂いを感じて、撮影場所に選びました。

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また、「底辺にいる人間が、普段、見あげて生きている感じ」を出したかったんです。あのタワー・マンションに住みたいわけではないけれど、毎日あの建物を見ることによって、(自分の生活と)対比させざるをえない、という感覚です。きっと、幹生や聡子の生活もそうなんですね。彼らは生活を続けていっても、あのマンションに住むことは叶わないわけです。仕事として、あのマンションを売ることはできても、自分では決して住めない。そこにある皮肉が、彼らの生きている世界観を作るのに、とても適していると考えました。

― では、幹生が不動産会社に勤務する営業マンであるという設定にも、そういう意味合いが含まれているのですね。

白石 それもありますし、幹生はきつい職業に就いている設定にしたい、というのもありました。本作の撮影を担当した辻智彦さんが不動産会社のドキュメンタリーを撮ったことがあるのですが、辻さんから、「(不動産会社での仕事は)リアルに、こんな感じですよ」と伺ったので、幹生はあの仕事に就かせたんです。

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― 本作は、ロッテルダム国際映画祭、釜山国際映画祭、ドバイ国際映画祭に正式出品されましたが、海外の観客の反応はいかがでしたか?

白石 とても高い評価をいただきました。(本作の舞台になっている)秋葉原などは、キャッチーなので、とっつきやすさはありますけれど、普遍的な部分を描いている物語なので、映画を観終えたあとは印象がまったく異なってましたね。いろんな評価を聞くことができて、とてもよかったです。

ドバイ国際映画祭で、(宗教的・慣習的に)黒いヴェールをまとった中年の女性が、「この映画を観ることができて、私は幸せでした」と感想を伝えてくれました。本作には風俗嬢が登場しますが、そういった作品を、戒律が厳しくて文化も考えかたも違う国のかたに理解していただけたのは、本当に印象に残りました。

― 本作の序盤は、とても重たく感じるので、観ていて身につまされて、胸が痛くなります。ですが、ラストにはとても温かい余韻を味わうことができます。白石監督は、メイン・キャラクターの三人に、エンド・ロールのあとは、どのような人生を歩んでほしいですか?

「『ただ、傍にあなたがいる』ということと、『私が傍にいるんだよ』ということを、それぞれがしっかりと認識できたときに、各自の行動は変わってくると思うんです」

白石 序盤の1時間には、音楽をまったく挿入していないんですよ。どうやったら重たくなるだろう、とばかり考えて(笑)、このようにしました。

メイン・キャラクターの三人には、もちろん、生活や関係性をもう一度、「よーい、どん!」と作り直すところから始めてほしいと思っています。ですが、そうしたところで、あの三人の社会的地位が飛躍的に変わるわけではないと思うんです。むしろ、なにも変わらないでしょう。

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でも、「ただ、傍にあなたがいる」ということと、「私が傍にいるんだよ」ということを、それぞれがしっかりと認識できたときに、各自の行動は変わってくると思うんです。(あの三人に限らず)人とのコミュニケーションのとりかたや、生きかたや関係性の作りかた、これらが今の日本に足りないものだと思うので、そういうところを作り直して(生きて)いってほしいですね。

― 映画のみならず、テレビドラマ、PV制作と、多岐に渡ってご活躍ですね。今後の活動の予定は?

白石 映画監督としての2作目は、本作で共同脚本をした高橋さんが脚本を書いてくれています。また、それとは別に、原作のある作品の映画化として、いくつか企画が動いています。

テレビやPVは、それはそれでおもしろいですし、楽しいこともあるので、来た仕事に対しては貪欲に検討して、いろいろと作っていきたいです。必ずしも映画しか作らない、というほどストイックではないんですよ(笑)。

― 最後に、『ロストパラダイス・イン・トーキョー』をご覧になるみなさまへ、メッセージをお願い致します。

白石 知的障害者が登場するなど、一見、世界観に重たい部分があるように見えるかもしれませんが、観終えたときには必ず、ある種の清涼感と温かさに包まれる映画になっていると思います。最初の(重たい)1時間を我慢して観てください(笑)。

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▼白石和彌監督 プロフィール
1974年生まれ。北海道出身。1995年、中村幻児監督主催の映像塾に参加。 以後、若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として行定勲監督作品、犬童一心監督作品など、さまざまな作品に参加。2007年、鈴木亜美のショートムービー『join』、PV『O.K.FunkyGod』で初監督。 2008年、魔法のiらんどTV「呪われた学校」を演出。『ロストパラダイス・イン・トーキョー』が長編デビュー作。

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▼『ロストパラダイス・イン・トーキョー』
作品・公開情報

日本/2009年/115分
監督・脚本:白石和彌
プロデューサー:大日方教史
齋藤寛朗
脚本:高橋泉
撮影:辻智彦
照明:大久保礼司
録音:浦田和治
美術:今村力
音楽:安川午朗
出演:小林且弥 内田慈 ウダタカキ 奥田瑛二 他
製作:KOINOBORI PICTURES
制作協力:若松プロダクション/カズモ
配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS
コピーライト:(C)2009 Cine Bazar
『ロストパラダイス・イン・トーキョー』公式サイト
※2010年9月18日(土)~10月8日(金)まで、ポレポレ東中野にてレイトショー。10月16日(土)より名古屋シネマスコーレ、2010年・晩秋より第七藝術劇場(大阪)他、全国順次公開予定。

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『ロストパラダイス・イン・トーキョー』 作品紹介

取材・編集・文:香ん乃 スチール撮影:柴崎朋実
改行

  • 2010年09月26日更新

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