『にくめ、ハレルヤ!』
- 2010年07月04日更新
【 ストーリー 】
僕らは何も知らないまま間違った10年を過ごしたのかもしれない。
10年前、阪神大震災で両親を亡くし、祖母とともに叔父の家に引取られた青年・裕人。しだいに震災の記憶もうすれ、平穏にくらしてきた裕人だったが、ある日、認知症が進行してきた祖母の口から、瓦礫の街の記憶、そこに<サキ>という妹がいたことが語られる。祖母の話した<サキ>という名前だけの妹は、裕人を再び震災と直面させることになる。そんなおり、街中で裕人と似た境遇の少女・沙樹と出会う。沙樹は自分の妹<サキ>ではないのか…。祖母の暗示のままに少女・沙樹を連れ出すと、 2人の逃避行が始まった。
この作品を紹介するにあたり、何を伝えるべきなのかとても迷いました。
その結論は、板倉監督の言葉と思いを、そのままご紹介したい。
衝撃と共に忘却された記憶、色褪せてはいけない思い。
目が覚めるような感覚に似たモノを【この映画の始まり】で私は感じました。
【 この映画の始まり 】 文:板倉善之監督
この映画は全く個人的なことから始まった。
「にくめ、ハレルヤ!」とは違う映画の企画を考えていた頃、私には付き合う女性がいた。神戸で生まれ育ったその彼女がある日、ふいに自身が経験した阪神淡路大震災のことを話しはじめた。別に暗い話しぶりでも、湿っぽい話しぶりでもなかった。ただ、彼女の経験した「なにか」を言葉にしようとするがうまく言葉にできない、そんな印象を受けた。私はただ黙って聞いているばかりだった。
地震のおきた当時、私は中学生だった。その日、部活の朝練のため5時半に起き、大阪の自宅で朝食の準備をしていた。と、突然下からつき上がるような揺れを感じ、咄嗟に食卓の下に隠れた。揺れが続く間、激しく恐怖したのを覚えている。揺れがおさまって父親達が飛び起きてきた。物が倒れたり、食器がわれたりといったことのなかった我が家の様子に安堵しテレビをつけると、しばらくして近畿地方の地図の上に4とか6とかの震度を示す数字が記された画面や、キャスターが地震を伝える姿が映された。町並も校舎もいつもと何も変わらなかった。教室では早朝の出来事の話題でもちきりだったが、それ以外いつもと変わらなかった。その日は午前中で授業が打ち切られて自宅に帰る。母親がテレビを見ていた。その画面を見て初めてことの大きさを知った。
横倒しになった高速道路。倒壊したビル、家。激しい炎。黒煙がのぼる空は黄色く濁っている。衝撃的だった。自分が早朝に経験したものと、テレビに映された光景とが全く折り合いがつかず、別世界の出来事のように思えた。
しかしテレビを通してそれを見るばかりの安全な場所にいた私は、無意識のうちにその出来事を、日々が過ぎていくとともに頭の角へ追いやっていった。
それから10年後、彼女が体験した阪神淡路大震災の話を私はふいに聞くことになる。以来、その彼女の印象がつきまとい、「彼女は何を言葉にしようとしたのだろう?」「あの日、自分の経験したものはなんだったのだろう」と自問する時間が長くなった。いつしか映画の企画として考え始めていた。
とはいえ、10年間、阪神淡路大震災に関して思考停止していた私に、それを映画として撮れるのか・・・そんな不安がずっとつきまとった。
体験談を読み聞きし、ルポルタージュの類いを読む。資料映像を見る。思いを巡らせてみるものの、どこかある種の情報としてしか受け止められなかった。
映画にするといっても、当時のことを綿密に調べ、映画としてある限られた時間の中で再構成する、というのは私にとって間違いに思えた。それは10年前、安全な場所でテレビを見ていたことと変わらないのではないか。「このことを映画にするならば、自分というものを通さなければ卑怯だ」。そんな思いだった。
神戸の街を歩いた。当然のように震災の面影など微塵も感じさせない街並。何度も歩いているはずのその街が急に白々しく感じた。うそっぱちに思えた。復興することが駄目だと思ったわけではない。ただ、震災のことがなかったように振る舞う街並みに疎外感のようなもの感じ、無性にイラついた。
全く手前勝手なイラつきだとも思えるが、「私と同じような感覚にとらわれている人が、この街のどこかに必ずいる」。そんな根拠のない確信が裕人という主人公を登場させた。
彼はかつて経験したものの、記憶にあまり残っていない阪神淡路大震災の影を追い求めるように少女・サキを追いかける。私はそんな彼をカメラで追う。
私にとっては自分が当時経験したものと、別世界のように見えたテレビに映る光景との違和感を埋めようとする作業であり、また彼女が言葉にしようとした「なにか」を追いかける作業であった。裕人の行動と私が再び阪神淡路大震災に向き合っていく過程とが影響しあう。
2010年は震災から15年目の年になる。
毎年1月17日には、慰霊祭の様子が善意に満ちた紋切り型の演出でテレビのニュース等で放送される。はたまた教訓的に災害対策が講じられる。必要なこととは思う。ただ「そんなもんだけじゃないやろ」と言いたくなる。
彼女が話そうとした「なにか」はいまだ掴みきれない。
しかし、思考を止めることも、行動の前にあきらめることもダサすぎる。
前述したように、この映画の主人公・裕人の行動は、私が再び阪神淡路大震災に向き合っていく過程と重なる。
そんな裕人の姿を見せつけたい。そしてその姿を追いかけてほしい。
▼『にくめ、ハレルヤ!』作品・公開情報▼
2006 / 76分 / DVCAM / 16:9 / ステレオ
監督・脚本・編集:板倉善之
製作 : 思考ノ喇叭社
配給・宣伝 : カプリコンフィルム
宣伝協力 : ブラウニー
キャスト : 苧坂淳、藤本七海、長綾美、デカルコ・マリィ、渡辺大介、平松実季、西村仁志、谷口勝彦、森川法夫、木村文洋、絵沢萠子(特別出演)
『にくめ、ハレルヤ!』公式サイト、『にくめ、ハレルヤ!』公式ブログ
2010年6月26日(土)より、渋谷UPLINK Xにて公開。
2010年7月3(土)に行われた『板倉善之監督×黒沢清監督トークイベント』も近日掲載致します!
文・南野こずえ
改行
- 2010年07月04日更新
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