『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』先行上映+トークイベント〜『この世界の片隅に』との驚くべき共通点〜セバスチャン・ローデンバック監督×片渕須直監督

  • 2018年08月17日更新

大人のためのグリム童話 トーク画像12018年7月某日、渋谷・ユーロスペースで、8月18日(土)公開『大人のためのグリム童話 手をなくした少女(以下、『大人のためのグリム童話』)の、トークショー付き先行上映が開催されました。トークショーに登壇したのは、本作監督のセバスチャン・ローデンバック、そして『この世界の片隅に』の片渕須直監督。『大人のためのグリム童話』と『この世界の片隅に』には、アニメーションである以上に驚くべき共通点があり、両監督はお互いの作品づくりに深い興味を持っているとのこと。そんなお2人から、作品をより楽しめる話をたっぷり聞くことができました。

 

 

『大人のためのグリム童話』がこの手法になった驚きの理由

司会:『大人のためのグリム童話』と『この世界の片隅に』は、非常に共通点が多い作品だということですが……。

片渕須直監督(以下、片渕):『大人のためのグリム童話』で新しい風を吹き込んでくださったセバスチャン・ローデンバック監督を応援したいです。こんなに自由な表現はできないと思う。

大人のためのグリム童話トーク 画像2

セバスチャン・ローデンバック監督(以下、ローデンバック):『この世界の片隅に』は、デッサンも演出も繊細で、苦しみ・痛ましさ・恐怖を描いていて「本当の映画に出会った」という感動がありました。そして作品を観たとき、私の作品と共通点がいっぱいで非常に動揺しました。もちろん物語も、描く時代も違うんですが……。

片渕:去年、僕の映画を紹介するために南フランスの工房を訪れたとき、この作品のポスターを見かけて、運命的なものを感じたんです。セバスチャンがこの作品をどうやって作ってきたかということを聞いて、非常に衝撃的だったのは、この作品を1人で作っているということです。この絵を1人で描いて、動きを作って……そして「できるだけ早く描こうと思った」ために、あのスタイルになったということに、びっくりしました。

ローデンバック:この作品は、全く違うビジュアルになるはずでした。はじめは、プロデューサーがいて、脚本があり、アニメスタジオと仕事をする予定で。そのときは、大きな制約があって、ちょうどこの作品の”城に閉じ込められた少女”のような状態でした。しかしその企画は頓挫し、私1人で自由なやり方で作ることになったんです。プレッシャーをかける存在がいなくて、自由に作れました。しかし私は、この作品をどうやって作ったかということより、このやり方を選んだ結果「映像がどういう言語を獲得したか」ということに興味があるんです。この作品と片渕監督の作品との間には、描かれた主題以上に「映像言語」を発見している、という共通点があるんだと思うんです。

わずか数ページの童話を膨らませた、ローデンバック監督の即興力

大人のためのグリム童話トーク 画像3片渕:「手をなくした少女」は、グリム童話集の原作では、ごくわずかなページ。これが長編になるというのは、本当にすごい。冒頭は比較的、童話集の中の文章に肉付けをしてる。でも描き進めていくうちに、セバスチャンは1人で描いているから、どんどん即興性が加わっていく。描きながら思いついて、話がどんどん変わっていったそうなんです。そしてラストは完全に原作にない展開に……どんどん逸脱していって、作りながら自分の自由を得て、即興性で物語を描き変えて。それがこの作品の制作姿勢のように感じるんです。

ローデンバック:たいていのアニメ作りは、脚本やストーリーボードや絵コンテなど、準備していたものを実行に移すだけ、というのがプロセスなんですけれども、私はそこを疑問視してみたんです。つまり、アニメーションを作る作業、人物を動かすという作業を、制作のプロセスの核心に置き直してみた。

そして私はこのアニメを、物語の時系列に沿って、頭から順番に作ってみました。登場人物の人生を作りながら、私自身が人物を生きているような感じがありました。私自身が俳優であり、観客であるような印象を持って、この作品を作っていたんです。そうやって作品を作るのは、非常に快感でした。これからも、同じような作り方でアニメを制作するかどうかはわかりません。でも、こういうやり方で作れたという経験を、とても幸せに思っています。

『この世界の片隅に』そして高畑勲監督『かぐや姫の物語』との共通点

大人のためのグリム童話 画像3ローデンバック:『大人のためのグリム童話』そして片渕須直監督の『この世界の片隅に』さらに、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』。短い間に作られたこの3つの作品に、大きい共通点があるということが、とても気になっています。物語の中心に少女がいて、その少女が社会的な制約のある状況を生きている。その中で、自分自身が自由な生き方を見つけるために、必ずしも望んでいない別の場所に行き、自由を求めようとする。さらに作品づくりで、アニメーションを作る”新しい方法”を発明し、それが作品の中心をなしている。これはなぜなんだろうと。

片渕:『大人のためのグリム童話』の少女は、非常に省略化・抽象化された簡単な線で描かれているんですよね。でも少女が動いたときに、人格を感じる。セバスチャンが即興的に物語を展開させていっても、その人格は揺るがない。どこに、何を芯に置いて、あの人物を作ったのか。そもそもあの子には名前がないのだろうか? ということも気になっています。

ローデンバック:原作の登場人物たちというのは、ある種の原型でしかありません。人物のアイデアがそこにあるだけで、本当の人物としての造形がなされているわけではない。だから、とりわけ労力を割いたのは「原型でしかない人物を、人物として作り上げる」こと。同時に、それらの人物が、普遍的な存在にするよう注意を払いました。だから少女には名前がないんです。一方で、少女が単なるアイコンではなく、人物として生きるように裁量しました。アニメなので少女には心臓はありません。線と色があるだけ。そこで、少女の動きを通して、少女の心臓がどういうふうに動くか、と……そうやって、少女を作品の中に存在させたんです。

主人公の女性たちの人格をどうやって表現するか

大人のためのグリム童話 画像2ローデンバック:少女が”より良い人生”を目指して歩いていく、それがこの物語です。だから、より良い人生を目指して歩く「少女の動き」を作るのが一番重要でした。そしてこの作品は、少女が大人の女性になる物語でもあります。つまり「少女の肉体がどう変化するか」……さらに少女は手という肉体の一部を切断されてしまうので、とりわけ肉体をどう描くかは、この作品にとって重要でした。だから、肉体を描くということを、原作から大きく増幅させていると思います。

この作品では「王女になるより、少女でいたほうがいい」ということも語られています。だから若い観客に見てもらうのは、非常に喜ばしくて重要なことです。「肉体がどうあるべきか」という主題に関しては、多くの場合あまり語られてきていない、普段誰もが語らないこと。この作品では、それを語っています。

片渕:そうですよね。普通は「汚れのない」といったら、いわゆる性的なこと、セクシャルなことから隔離されていて、それに対して悪魔がおののくんだ、というね。しかしそれも全部含めて、肉体を持っている女の子だからこそ、悪魔がおののく……その部分もすごく感銘を受けました。

ローデンバック:こうやって話しながら『この世界の片隅に』のことを思い出しています。作品の中で、家族との生活の小さな日常というのを、細かく描いていますね。

片渕:そう。同じことをやっているんです。何よりも、1人の人格をどうやったら動きで表現できるのか……それも偶像化したものではなく、魂というより肉体、日常性を持って、本当にそこにいるんだと感じられる。それを動きでもって作りあげていく。

ローデンバック:アニメでは、多くの場合、動きで表現します。アメリカのアニメでは、デザイン自体で表現する場合もある。ただ、私たちが作った作品の女性の主人公たちは、非常に少ない線で描かれていて、静止画になるとほとんど何も語ることはできない。ところがいったん動き出すと、多くのものを語り始めるわけです。

アニメというのは、本当に不思議な表現。まったく人工的なものなんですけれども、非常に深い人間性であったり、リアルというものを描ける。現実をコピーするのではなく、アニメとして現実を再解釈して描く。それが私たち2人が、大事にしていることだと思うんです。大きな冒険、大きな物語というものを、いったん現実から離れることで、私たちは描いていると思います。

”魂の解放”のために、人が孤独である必要はない

司会:両作品とも少女が主人公ですが、同時に周りの家族の物語でもありますね。

大人のためのグリム童話トーク 画像4片渕:そうですね。1人の少女の魂の解放を描いているんだけど、解放された時にひとりぼっちではない。子どもに恵まれていたり、パートナーと関係を得ていたり。人に恵まれていくことで、その人が本当の意味で解放されたんだな、ということがわかる気がします。ひとりぼっちじゃなくて、周りに自分自身の家族を作り上げていく。そういう力も得ていったんだな、と感じました。

ローデンバック:そのことで、以前のプロデューサーと論争になったんです。必要としなくなったら、少女は王子を捨てるべきだし「だいたいこの王子はダメな人じゃないか!」と。確かに少女は、王子なしで生きていける。しかし必ずしも1人であることが自由を保証しているわけではない。王子なしで生きるという選択肢もあるかもしれませんが、たとえ100%素晴らしい人じゃなくても、少女が王子を欲望するという可能性もある。それに王子はダメな人ではなく、物事を理解するのに、時間がかかる人なだけ。男の子というのは、そういうものなんです(笑)。

(取材・編集・文・撮影:市川はるひ)


◆関連記事:『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』〜流れるような筆絵が鼓動する! ダイレクトに心へ響く驚愕のアニメーション〜

▼『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』作品・公開情報
大人のためのグリム童話 画像6
(2016年/フランス/80分/DCP/G)
原題:a Jeune fille sans mains 英題: The Girl without Hands
(※「東京アニメアワード2017」での上映時タイトル『手を失くした少女』)
監督:セバスチャン・ローデンバック
声の出演:アナイス・ドゥムースティエ(『彼は秘密の女ともだち』)、ジェレミー・エルカイム(『わたしたちの宣戦布告』)ほか
配給:ニューディアー 配給協力:チャイルド・フィルム

●『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』公式サイト

※2018年8月18日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

  • 2018年08月17日更新

トラックバックURL:https://mini-theater.com/2018/08/otonanotamenogrimm/event/trackback/