原発事故。本音が出せないまま流されていく空気感の中で吐き出された感情とは?-『おだやかな日常』内田伸輝監督インタビュー

  • 2012年12月31日更新

2011年3月11日東日本大震災直後の東京。混乱が続く中、同じマンションに住むユカコとサエコのもとに原発事故のニュースが飛び込む。夫とともに暮らすユカコ、幼稚園児の娘と二人で暮らすサエコ。境遇が違う二人だが、刻々と入る放射能に関する情報に眠れない日々が続く。しかし福島原発から230キロ離れている東京では放射能に対する受け止め方は様々だ。敏感に対応するユカコとサエコは周囲からのズレを少しずつ感じ始め、苛立ちが膨らみ始めていく。東京フィルメックス、グランプリ受賞作『ふゆの獣』で男女の生々しい恋愛を描いた内田伸輝監督が『おだやかな日常』では放射能反応する人々のぶつかり合いをリアルに描いていく。震災をテーマに、内田監督が浮かび上がらせた人間の姿とはなんだったのだろうか?内田監督からたっぷりとお話をうかがってきました。




前回と変わらないのは「むき出しの感情」
- 前回『ふゆの獣』のインタビューをさせていただいた時に、役者の方が役をご本人で生きてしまう「憑依する」作り方をされているというお話を聞いて、ぞっとしました。今回は前回と違うという作り方をされているそうですが。
内田伸輝監督(以下 内田):そうですね。内容が内容だけに、プロットだけだと何を言っているのか分からない、支離滅裂な状態になるので、あらかじめ脚本をしっかり書いてのぞみました。『ふゆの獣』と違って、『おだやかな日常』は9日間の限られた時間の中で撮影を円滑に進めなければいけないので、基本として、脚本を映画の設計図にして、その設計図を基に即興をやろうと初めから考えていました。

-逆に前回と今回とで変えてはいけないと思われたものはなんでしょうか。
内田:「むき出しの感情」です。僕は塚本晋也監督が好きで、監督の一貫したテーマが「破壊と再生」なんです。それで僕自身も映画の中ではなく、制作の過程で、作ったものを破壊して、また再生させていくっていうスタイルが好きでこのスタイルを取っています。役者さんに台本を読んでもらって、台本のキーワードだけを踏まえて、ワンカットの長まわしをするというやり方です。脚本を書いただけで、あとの方法論は『ふゆの獣』とさほど変わっていません。撮っているカメラマンが、予想もつかないような行動というか、(予想とは、はずれたものが)見え隠れしたときに脚本に沿ったものとは違う何かが生まれてくると思っています。


即興をやることの一番の理由というのは「リアルなもの」をやりたいのではなく、キャラクターの「感情を吐き出せる」環境を作れるから
-監督のユニークな作劇方法に、参加されている役者さんからなにか言われたことなどはありましたか?
内田:ひとそれぞれです。そのやり方に慣れている方は受け入れて楽しんでくれるし。持っていきかたを知らなかった方は驚くといいますか(笑)。渡辺真起子さんは諏訪敦彦監督と組んでいらして即興に関しては先輩なので、むしろ、やり方を教えていただいた部分がありました。(渡辺さんから)教わったのはキャラクターの時間割です。僕はそれまで、キャラクターの背景を書いて提出して、そこからキャラクターを作っていくというやり方をとっていましたが、それにプラス、その日一日の時間割を、例えば何時何分にどうやって過ごしているのかが欲しいと言われて。これはすごく必要なことだなと。というのは、一日二十四時間のなかで、朝起きて10時くらいのテンションと、22時くらいのテンションって、その日一日過ごしてきたなかで(テンションは)変わってくるじゃないですか。今回、お母さん方の話がありますが、幼稚園に子どもを預けたあと、家に帰って、スーパーに買い物に行く人もいれば、そのスーパーでパートする人もいるわけです。そういう一日の流れの中で明らかにテンションというか、疲れ具合は変わってきます。時間割が明確だと、役者さんもどういうテンションでのぞむのかというのが分かりますよね。これは今後も使おうと思いました。

-(時間割を考えることで)生々しさが演技にまた加わっています。内田作品は、どこまでリアルに迫っていくのでしょうか。
内田:リアルなものをやりたいというわけではないのです。即興をやることの一番の理由というのはキャラクターの感情をワーっと吐き出せる環境を作るというところにあります。キャラクターを踏まえた上で台本にはない何かが、その即興によって見えてくればと思います。


震災後の恐怖は本音が出せないまま流されていく空気感。その恐怖感のなかで本当に大切なものはなんだろう?
- 今回、感情を吐き出すテーマが「震災」です。震災の映画はたくさんあって、わたしたちもそれに触れますし、いろんな感情を持って観ている方がいらっしゃいますけれども、監督のなかで、震災を通して一番伝えたかったことはなんでしょうか。
内田:震災も衝撃的で怖かったですけれども、震災のあとの原発事故の方が怖いものがありました。放射能が漏れて東京に来ているのか、それがどのぐらいの数値なのかがわからない状態のなかで過ごしていく不安感と、反対に安全の声がぶつかっていく姿がネット上で繰り広げられていて悲しかったです。自分の発言が「不謹慎だ」とか、「風評被害だ」と言った言葉によって封じ込められて、本音が出せないまま流されていく空気感は戦時中に戻ったかのようでした。このまま日本で暮らしていって大丈夫なのか? 知らぬ間に新しい政治ができて、いつの間にか国が戦時中の状態に戻ってしまうのではないか?という恐怖を感じました。その恐怖のなかで本当に大切なものはなんだろうと。子どもは、自分たちの未来です。その未来をどう守っていくかというのは、僕らにかかっています。不安感のなかから、未来を取り戻さなければならないと思いました。


震災前からあった、強い者が意見を封じ込めてしまう縦社会の構造
-東京のあるマンションに住んでいる住民の狭い世界の話ですがその先に原発問題や、国のあり方が繋がって来ます。この作品を通して浮き彫りになったものはなんでしょうか。
内田:日本人独特になってくるのかどうか、僕は他の国で住んだことがないのでわからないんですけれど、流される風潮の怖さですかね。(流されて行く)怖さを描きたかったというのはあります。幼稚園は色々な人達が集まってくる集合体といいますか、ものの考え方が全然違う人たちが、結果的にぶつかり合う場です。原発事故がなければ別のかたちで、彼らはぶつかると思うんです。給食の献立とか。今回はたまたま原発事故だったというだけで。そこにあるのは、強い者と弱い者がいて、弱い者が意見を言うと強い者が意見を封じ込めてしまう縦社会です。こういう社会は震災前からあったものだけれど、震災が起きて、放射能の問題でより明確になったということでしょう。『おだやかな日常』の登場人物のように皆、多分弱いと思います。その弱さをお互い認め合って、ひとつの解決方法を見つけていかなければならないのですが、お互いのプライドが邪魔しているというのはあると思いますね。


選択をした人を否定することはできない。色々な選択があって、どういう生き方をするのかは自由。
-『おだやかな日常』を観ると震災時に感じた「明日どうなるんだろう」という嫌なドキドキ感が細かく生々しく思い出されました。ご自身で感じたことが反映されましたか

内田:そうですね。僕自身も震災当日は地震速報が鳴りっぱなしで数十分ごとに鳴ってくるんで、怖くて寝られなかったし、2日間、風呂にも入れませんでした。寝ていると突然、地震速報が鳴って、それに反応して起きてという感覚は経験からくるものです。今でもよく覚えていますが、震災があって、12日の未明に長野で震度6強の地震が起きて静岡でも誘発地震が続いて、次は東京じゃないかという不安感がありました。毎日のようにツイッターを見て、情報を集めてまた不安になる。一方、ツイッターを見ないとそれはそれで不安で。「流れている情報は本当のことを言っているのか?」という感じになってきていましたね。(情報を)選び、どう道を進むかは、結局情報を選択した人でしかない。『おだやかな日常』の中にも様々な選択をしている人が出てきます。どのような情報を選ぶのかは、その選択をした人達で、選択をした人を否定することはできないと、僕は思います。色々な選択があって、どういう生き方をするのかは自由ですよね。




▼『おだやかな日常』作品・上映情報
日本、アメリカ / 2012 / 102分
監督:内田伸輝
出演:杉野希妃、篠原友希子、山本剛史、渡辺杏実、小柳友、渡辺真起子、山田真歩、寺島進
『おだやかな日常』公式サイト
配給:和エンタテインメント
©odayaka film partners
※12月22日(土)ユーロスペースほかにて公開
文、編集:白玉  撮影:鈴木友里 撮影: 編集協力:南天



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