『瞳は静かに』―シエスタをしたがらない少年は、なにを見ていた?

  • 2011年12月20日更新

アルゼンチン発、「お涙ちょうだい」ではない子ども映画。

『月刊 子どもと犬』という映画雑誌が発刊されないのが不思議なほど、子どもや犬を題材にした感動映画が続々と公開されている昨今。「お涙ちょうだいの子ども映画には食傷気味」というかたも、多くいらっしゃるのではなかろうか。そんなかたがたに朗報である。アルゼンチン発『瞳は静かに』は、一見、愛らしくて無害な少年がおとなたちの秘密を見破っていく、戦慄の物語だ。

 1977年、軍事独裁政権時代の、アルゼンチンはサンタ・フェ ― 8歳のアンドレス(コンラッド・バレンスエラ)は、母と兄との三人で平穏に暮らしていた。しかし、母親が突然の事故で命を落としたことにより、祖母のオルガ(ノルマ・アレアンドロ)と父のラウル(ファビオ・アステ)が暮らす家に兄弟は移り住むことになる。祖母は優しいが規律に厳しく、父は短気で怒鳴り散らしてばかり。明るかったアンドレスの口数は減り、おとなたちの言動を観察して過ごす少年になっていった。アンドレスの瞳には、「子どもにはなにもわからない、気づかれない」と頓着しないで行動するおとなの真実の姿が映って……。

「シエスタ=現実逃避」。

 原題の”ANDRES NO QUIERE DORMIR LA SIESTA”は、「アンドレスはシエスタ(昼寝)なんてしたくない」という意味。1970年代、アルゼンチンの都市部ではシエスタが廃れ始めていたが、本作の舞台のような地方では、まだこの習慣が残っていた。まるで、「現実をなにも見ないで、ただ寝ていればよいのだ」と言いたげに、おとなは子どもにシエスタを促す。しかし、アンドレスは昼寝などしないで起きていたいと思っている。おとなたちがなにを話してどんな行動をしているのか、その目で見たいと思っている。

 本作で描かれるシエスタという行為は、大いなる暗喩だ。軍事独裁政権下のアルゼンチンでは、反体制派への強硬で残虐な弾圧がおこなわれていた。この映画に登場するおとなたちの中には、政府に協力して身を守る者もいれば、抵抗運動をしている者もいる。異なる立場の親族や友人が水面下で対立しあっている、不安と恐怖に満ちた状態 ― その現状を見て見ぬふりをする手段として、「シエスタ」が比喩的に使われているのだ。おとなたちは「不安も恐怖もない。問題はなにも起こっていない」と振る舞っているけれど、目をあけて周囲を観察していたアンドレスは、世の中に、家族に、そして、母親の死に、なにが起こっていたのか気づくことになる。シエスタという現実逃避を拒んだ彼は、真実をその目で見ることができたからである。

アンドレス少年の「瞳」になって見てみると……。

 主人公のアンドレス少年を演じたコンラッド・バレンスエラは、本作が映画初出演。撮影時は9歳だった。オーディションに集まった600人の子どもの中から、ダニエル・ブスタマンテ監督がコンラッドを選んだ決め手は「瞳」。ぱっちりと大きくて聡明な輝きを放つ彼の瞳には、一瞬で魅了されるだろう。この美しい瞳が、おとなたちの言動から真実を見抜いた結果、驚愕のクライマックスが訪れる。ラストをまのあたりにすると、「子どもは恐い」と慄くかもしれない。しかし、アンドレスの視点に立って、それこそ、彼の「瞳」になり代わって本作を観ると、おとなたちの狡猾さと臆病さが如実に見えてくる。同時に、現在、自分が生きている時代と世界で、現実逃避をするために自身がなにを「シエスタ」に使っているかも見えてくる。それがわかったときこそ、本当の戦慄が待っている。

▼『瞳は静かに』作品・公開情報
アルゼンチン/2009年/108分
原題:”ANDRES NO QUIERE DORMIR LA SIESTA”
監督・脚本:ダニエル・ブスタマンテ
出演:ノルマ・アレアンドロ コンラッド・バレンスエラ ファビオ・アステ セシリア・フォント エセキエル・ディアス ラウタロ・プッチア 他
配給・宣伝:Action Inc.
『瞳は静かに』公式サイト
※2011年12月10日(土)より、新宿K’s シネマ、渋谷アップリンク、2012年1月7日(土)より、梅田ガーデンシネマ他、全国順次ロードショー。

文:香ん乃


  • 2011年12月20日更新

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